#主客合一の一瞥 【4/29(月) 東京ワーク ~ご感想と所感】

今回の主なメニュー:
・脳を活性化するエクササイズ(思考を介さず直接的な体験を起こしやすくする)
・姿勢の調整(水平意識と垂直意識を顕在化する)
・身体の重心と物質の重心の意識化(丹田と重心/重力と物質の重心とバランス)
・重心と自我と意図の関係性を具体的に体感する
・世界を「見る」メカニズムについて(ハートと丹田と気づきの統合)
・ハートは世界とどう触れているのか?(世界が「在る」ことの親密さを体感する)
・3次元における主客合一の一瞥とは?(私が世界として在ることの手触りを体感する)
・瞬間瞬間を見切るための精妙な気づきのエクササイズ
初めて参加された方から感想をいただきました。
身体と意識の関係、とても面白くワークさせて頂きました。
「第3チャクラは意思に関係する」等と言われますが
肉体と意思の関係について
今まで明確な実感がなかったのですが
「腕を上げる」ワークで腑に落ちました。
びっくりです。
丹田とハートの違いも、とても興味深く。
これからもっと身体を意識して
姿勢を整えつつ
そちらの感覚に注目してみようと思います。
前回、姿勢の調整や身体からのアプローチが好評だったため、今回も身体的なワークが中心となりました。
とかく瞑想や覚醒というと身体を飛び越えて意識の領域を扱おうとする傾向がありますが、3次元においては
身体と意識は密接に関係しているため、対象物としての身体を知ることから始めるほうが具体的で確実だと
思います。
身体を知ることは3次元のこの世界を知ることであり、この世界を知らなければ一時的に覚醒体験が起こったとしても
すぐにこちらの世界の引力に引っ張られてしまいます。
(例えば誰かの肉体の輪郭の外側のプラーナの一部に影や欠けを見たとき、こちらの意識を軽く同調させればプラーナ自体は
意外と簡単に修復できたりしますが、本人の意識が肉体に同化したままであればプラーナも肉体の不均衡にひっぱられて
すぐに元の状態にもどってしまいます。)
3次元感覚にどっぷりと浸っている状態においては、意識そのものの相対的な動きや質感を意識単体で認識することは
できません。
3次元においては、意識の微細な動きや方向性や手触りや流れは、身体という対象物との連動を観察することによって気づくことができます。
意識の動きは「意図」「反応」「反射」に結びついてベクトルを発生させるのですが、3次元に浸っている状態では通常、
これらの結びつきを意識化せず無意識かつ機械的に行動しています。
この「無意識の状態」をまずは分解して意識化することが次のステップへ進む鍵となります。
身体と無意識的に結びついている意図を見切り、意識の触感ともいうべきエッセンスを体感した後にはじめて、意識自身が意識の動きを単体で認識できるようになります。
精妙な瞑想はこの地点からはじまります。
これは例えば、自転車にはじめて乗るときには自転車という対象物がなければ練習できないけれど、ひとたび乗る感覚を
覚えると実際に自転車に乗っていなくても「自転車に乗っているときの感覚」を想起できるのと似ています。
(実際には身体を忘れて意識の領域のみで瞑想している段階でも、意識の触感や流れを捉えているときは身体感覚が微細に
結びついているのですが)
今回のメインテーマは「重心と自我と世界の関係性」でした。
重心とは身体が重力にしたがって立ったり座ったり歩いたりするときにバランスをとるための中心であり力学的な起点です。
重心というと何か実態感を伴う質量のあるもののように思われるかもしれませんが、重心そのものは質量のないゼロポイント
のようなものです。
例えばワークでも行ったのですが、人をおんぶするときには2人の重心のバランスが合わないと重く感じたり滑り落ちたりする
のに対し、バランスがとれているときは重心のポイント自体には質量がなく空白の感覚がするはずです。
3次元の地球において重力の法則に従っている私たちは、無意識に自身の重心と世界に存在するあらゆるものの重心との
バランスを感じとりながら生きています。
私たちの自我は普段、周囲の物を見るときに「必要か必要でないか」「興味があるかないか」「自分と関係があるかないか」
といった意識でフォーカスを移動させています。
通常、フォーカスが目的のターゲットを捉えたその瞬間に対象物を概念化し名前をつけており、ターゲット外の物はぼんやりと
背景に追いやられ、顕在意識から除外されます。
しかし、実は私たちは無意識のうちに周囲のすべての物の重心を感じとっているのです。
ワーク中、ある参加者さんに部屋の中にあった大きなホワイトボードを持ち上げてもらったのですが、
当然のように迷いなく重心に見合った位置(ボードの真ん中あたり)を両手で持ち、重さに見合った程度の力で
「正しく」持ち上げました。
このときもし、ホワイトボードの一番上を片手でつかんで箸を上げる程度の力で持ち上げようとしても持ち上がらなかった
はずですが、当たり前のように何も考えずに合理的に持ち上げられたのは、持ち上げる前からボードの存在と重心を自身の
重心との関係で測り「知っていた」からなのです。
(もちろん実生活においては重さの予測や重心を見誤って持ち上がらなかったりすることは往々にしてありますが)
例えば私たちはキッチンに鍋が置いてあるのを見たとき、即座に鍋の存在の意味(中に材料を入れて煮炊きする目的・用途)
や鍋の重心(どの面を底にして置き、自分の重心に対してどこをどのように持てば持ち上がるのか)を無意識に測り感じとって
います。
これは、私たちがこの3次元世界に生まれてきて学習によって習得された、身体に付随する感覚です。
この感覚は「私の身体と自我」という定点と重心ありきのものなのですが、私という定点がなくなったときには物に付随していた
(私にとっての)「目的」「用途」「意味」の感覚が抜け落ち、すべての物本来の実存そのものが突如として背景から浮かび上がり
異様なまでの存在感を顕してくるようになります。
3次元世界においては実存と重心は本質的に結びついています。
3次元の人間において重心を感じとっているのは丹田であり、丹田は自我感覚や存在感覚(「私がある」という感覚)と結びつ
いているポイントです。
自我のフォーカス機能が外れた状態で世界を見ると、「私の重心」と世界のあらゆる物の重心が一つになり、「そうでしかない状態」でそれぞれのあるべき様にぴったり収まっていて、すべてが「私の中」にあることがわかります。
この状態がもう一段階進むと、あらゆる物のヴァイブレーションが私自身として炸裂し響いていることを発見します。
今回のワークでは、この状態の前段階ともいうべき手触りを体感された方がいたのは嬉しい驚きでした。
重心はまた、意図と行為に密接に結びついています。
例えば3メートル先にある本を取ろうとするとき、まず意図が発動し(この意図がどこから発動するのかは今の段階では置いて
おきます)、本の方向へ歩き出そうとします。
このとき、意図の発動の一瞬後に重心が動き、そのまた一瞬後に歩きはじめるのですが、通常私たちはここまでのプロセスを
無意識に行い、その間の認識は、本を取ろうとする目的と思考に占有されています。
今回のワークでは、ある簡単な仕掛けを用いて意図と重心と行為の関係をいったんバラバラにすることによって、意図の
ベクトルの発生を単体で認識できるようになることを目指しました。
意図を単体で微細に意識できることは身体を忘れて意識の領域を探っていくときに必須の感覚になるのですが、肉体と同化
した私たちはこの無意識のプロセスに気絶してしまっているのです。
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