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#丹田、ハート、意図、重心 【ワークのご感想と質疑応答】    

2019/05/06
先日のワークのご感想をいただきましたので、質疑応答をシェアいたします。
(一部修正・加筆しています)



今回のワークでの一番の驚き分野は、丹田、ハート、意図、重心、それらの無意識な(瞬間的な?)意図による統合?でした。


正確にいうと丹田(≒重心、存在、自我)、ハート(接触・共鳴・振動の相対性の場・感情)、認識(空間座標・形・概念・思考)
の相互関係のバリエーションが、気づきという座標のない空白の瞬間に顕れ出ているのです。

それらを統合しているのは「顕在化された」意図ではありません。

ワーク中にもいいましたが、私たちは意図的に顕れ出ることは一切できません。

能動的な意図は見かけ上のものです。

人間にとっては意図は発動された後に後付けで気づかれています。

人間は顕在化された意図の部分のみを見て自我の「目的」と混同しています。

私たちはこの「混同」によって行為に先立つ丹田・ハート・重心の移動のプロセスを無意識化しています。

「統合」されているように感じているのは実はその逆で、すべてを一緒くたにして顕在意識から切り捨てているのです。


それでは、顕在化された意図に先立つものとは何でしょうか?

それは私たちの顕在意識がコントロールできない、微細かつ圧倒的なエネルギーを包含する磁力・引力のようなものです。

その力の引き合いが発動することによってすべての事象が磁石に砂が吸い付くように瞬時に組み合わされ、
特定の動きのベクトルを決定します。

このベクトルの発生によってさらにその力の方向性に見合う丹田・ハート・重心の移動が自動的に起こります。


統合しているのはこの「力」です。

この、自動的に起こる様々な動きにはパターンがあり、このパターンの見かけ上の断続が瞬間瞬間に個別の同一の個人という
認識を生み出しています。

この磁力のようなものを見切るための準備段階として、まずは顕在化された身体のレベルで行為に先立つプロセスを意識化
したいのです。

今回のワークで感じ取っていただいたのは、身体のレベルの3次元的な力学の感覚に基づいていますが、ここを無視して先に
進もうとすると必ずその先で壁にぶつかってしまいます。

(ベクトルを見切る感覚が甘いため微細なベクトルに付随する引力のパターンに気づけず現象に引き戻されてしまい、一定レベル以上先に進めないのです。ここは集中力だけでは乗り越えられない壁です。先へ進むためにはいわゆるサマタ瞑想とよばれる集中力にプラスして刃物のような気づきの鋭敏さが必要になります。)

難しい話になりましたが、今回のワークで今まで無意識だった部分が意識化されたことは大きな一歩です。



例えば、ワークの部屋に存在(していると見えている?)空間にあるモノと無意識に自分が重心を図っているため、当たり前に移動したり重さを事前に考えたりしていることに同化(気絶)しているため、丹田やハートなど分解して考えてみることで実際にワークでやったように、重さを丹田で実感したり、が相当な驚きでした。


私たちはこの世界の構造との同化から抜け出そうとする前に、何が私たちの存在感覚を成立させているのかという構造を
はっきりと見抜かなければならないのです。

そのためにまずは、ここに顕れでている身体と意識の構造を知り、この現象世界が私たちの感覚を通してどのように顕れ出て
きているのか、3次元に私たちが存在しているという感覚のベースはどこにあるのかを知らなければなりません。

それはいってみれば、何が私たちを人間たらしめているのかを知ることでもあります。

人間が人間として自己を認識するときの無意識のプロセスをいったん意識化してバラバラにし、逆に辿って行くことによって
本来の実存に気づくのです。
(これは人間ならざるものになるということではありません)

今この話を問題にしているのは、この次元の私たちという意識であり、一時的に別の次元の意識にフォーカスしたとしても、
すぐにこの次元の意識に引き戻されます。
(別の次元の私は「すでにそこにいる」のです。)

ただ、「知りたい」と思うのがこの次元の私であるかぎり、この次元の構造を見抜き完全に納得するしかないのです。



また、座っての瞑想の姿勢矯正?は助かりました。個人的に腰や腰回りの関節・筋肉が硬いため、少しずつ慣らしていきたいとおもいますが、前回頂いた、ちょっとしたアドバイス(足の付け根部分の空間やそこに乗っかる感覚)を実行しただけでもその瞬間に瞑想的な意識に入れました。


姿勢の矯正に重点を置きすぎると、ヨガ行者のように柔軟で完璧な身体でなければならないのかと勘違いしやすいのですが、
ある姿勢の形態に対応する意識がどのような感覚のものかというエッセンスをつかんでその意識を単体で呼び起こすことが
出来そこに一瞬にして入ることができれば、実は姿勢はどんな形でもかまわないのです。

たとえば、ある一定の姿勢の正しさだけを絶対的なものと考えてしまうと身体の不自由な方は絶対にエッセンスがつかめない
のかという話になってしまいますが、そうではなく、身体が不自由であったとしてもその人が認識できる対象物
(極端にいえば対象物は身体ではなく「思考」でもよいのです)を拠り所にその人固有の力学に基づいて直観的にエッセンス
を見抜くことは十分可能です。
(この場合は身体の柔軟さではなく意識の柔軟さと繊細な感性が必要となります)


ただ通常、身体と意識の関係を無意識に混同したレベルだと意識単体のエッセンスをつかむのは難しいため、姿勢が崩れて
いれば身体のメカニズムに意識がひっぱられそのレベルに固定化されてしまいます。

そのためまずは形を整え、形に伴う意識とはどのようなものかを知ることから入ったほうが早いのです。

瞑想という目的に関しては、形が意識と直結するポイントがいくつかあるため、それを知れば集中を高めるために費やす時間は
大幅に短縮できます。

〇〇様の場合は微妙な修正で効果があらわれやすいので姿勢を整えることはメリットとなると思いますが、逆に矯正によって
今まで自由に生き生きと感じていた感覚が形にとじこめられるような感覚が出てくるかもしれません。

この辺りは個人の資質を見つつバランスをとっていくしかないのですが、感覚的にとらえやすいハートやオーラ視などと違い、
気づきの鋭さの開発はいったん個の自由を離れ厳密に進めていくしかないのです。

この道を進もうとするときには、ある段階で必ずエゴの抵抗や反発が起こってきます。

それでも進むかどうかは、最終的にはその人の資質と志向性によるとしかいえません。



上に書いた、ばっくりとした無意識な身体との同一により、本来は気づくべき点に対して気絶してしまっていることに対して少しづつ発見をしていける希望が見えました。書籍にありました、3つのポイント(丹田、ハート、後頭部?)のそれぞれの役割?もワークを通じて感覚的にクリアになってきた感じがします。


注意すべき点として、丹田やハートの役割を知り世界とどう関わっているのかを知ることは興味深くはありますが、チャクラ
その他もふくめ、それぞれの機能の面白さを追求することは本末転倒となるということです。

ワークは現象世界でうまくやっていくためにそれらの感覚をうまく扱ったり神秘体験を楽しもうということではなく、あくまでも
無意識のプロセスを意識化し、世界に気絶してあることから目覚めることが目的なので、それぞれの役割の概要を理解しつつ
これまでいかに様々な感覚のレベルを混同し「私という存在」を大雑把にとらえていたかに気づくことが大切です。

このときに、例えば「丹田とはこのような役割のものである」といった概念を外から聴いて鵜呑みにするのではなく、気づきの
プロセスのなかで各自が自分自身で生々しい驚きを持って発見し、それが本質的にどのような意味を持っているのかを理解
していかなくてはなりません。

ただ、発見のヒントがまったくなければ、突発的な一瞥をのぞいて、この肉体との同化が存続しているうちに気づく可能性が
低くなります。

ワークはそのためのヒントをお伝えする目的で行っています。

今回、丹田のワークの後で〇〇様が「存在」の手触りを感じた瞬間が起こったことは嬉しい驚きでした。



個人的には、ワーク中にどんどん大きくなっていった、全てのモノにある白い輪郭ですが、それを見ている時は後頭部?や頭の中がボワんとしており、常に3Dの方の視点というか肉体の目で見ることへ引っ張られます。でもまたすぐに輪郭を見る感覚に戻る、これが1日のなかで頻繁に繰り返しているのですが、その頻度がワークをしてからどんどん多くなってきている感じがします。日常生活を送る上でたまにぼーっとしているが、感覚が研ぎ澄まされている感じがあります。また、このボワんとした、でも鋭い感覚の状態を継続していると丹田の方にも圧?というかエネルギー的な感覚が出てきました。頭と丹田ですが、ハートの部分はほとんど感じません。たまに温かくなる感覚があるくらいです。よって、頭と丹田がボワんとしている感覚が強くなってきています。


瞑想的な意識に入ると様々なことが起こってきます。

本来の目的からすれば、いかなる現象が起きてもそれを見送っていくことが気づきの鋭利さの開発になるのですが、
ワーク中にもお話しましたように、自我感覚が弱まりフォーカスがシフトすると物質の輪郭を超えたものが見えることはよくある
ことです。

以前にもお話しましたが、視覚として見えているものはフォーカスがシフトしていたとしてもあくまでも3次元の延長であり自己
という定点があったうえでの対象物です。

ボワんとするのは眠りにおちるときに微睡む心地よさにひっぱられるときの意識に近いのですが、気づきの鋭利さが開発されて
いないと目覚めている本体の核が曖昧でゆらいでいるので霞の中で意識がいったりきたりしている状態です。

(感覚の鋭敏さは集中力の高まりとともに起こりますが、この段階では身体感覚の一部であり、気づきの本体の核とは位相が異なります。)


丹田のエネルギー的な高まりが起こったら、上方向へ上げずに足の裏と地面を意識し、必ず重心に収めるようにしてください。

この状態を心地よく感じとどまりたい欲求と好奇心があるかもしれませんが、次の段階へ進むためにはグラウンディングは
必須です。

グラウンディングせずに勝手に上へ昇っていこうとするエネルギーはふわふわと方向が定まらず下方からの反発力から生み
出される力強さがなく、必要な段階で正しく使えないのです。


物質の輪郭を超えたものが見えて3次元的な自我感覚が弱まっているときは(自我と相反する)慈悲喜捨や利他の感覚が
起こり自動的にハートが開いていることも多いので、この状態でひとまず「祈り」を発動させ気づきを忘れ意識的に没入しても
よいのですが、「祈り」は非常に精妙なもので今の段階でエッセンスをお伝えすることが難しいため、
とりいそぎこのような状態になったときには目をつぶってご自分の知っているハートの感覚(自分で思う位置よりも背骨寄りを
意識したほうがよいです)にフォーカスし、祈りの対象を設定せずしばらく頭を真っ白にしてハートの感覚の中心にとどまり、
あらゆる現象が今自分に起こって運ばれていっていることに対して感謝が起こるかどうか見てください。
(感謝は無理やり起こさなくてかまいません。ちなみに感謝が発動すると頭部が下がり身体は自然と丸まった形になります。
これを形骸化したものがお辞儀の形です。)

今は身体や意識の様々なレベルが交錯していてハートと結びついていないかもしれませんが、輪郭を超えたものに繰り返し
フォーカスしてしまう事実があるのは確かなので、その状態を意識的にとらえ、ハートを活性化することでその先への推進力に
することは一人で実践していても比較的安全でお勧めできます。
(その際にエネルギーをイメージ化したり人格化等なにかの概念にとらわれないようにします)

祈りは本来、勝手に起こるものですが、ある段階までは認識の開発とは別に意図的に行ったほうがよいのです。

これについては折をみてワークにも取り入れていきます。


ワークによって今まで感じとっていたハートの感覚が一時的になくなる感じがすることがありますが、これは今まで自我感覚と
ハートの感覚を混同していたためです。

自我感覚と結びついたハートは「自分のハート」「自分の魂」「自分の至福」「自分の愛」というように「自分」を定点にし、
「自分」が特別な存在であるという感覚にうっとりすることによって肉体に近い層で感知されます。
(現在、スピリチュアルと呼ばれるもののほとんどがこの層へのアプローチだと思います。「癒し」という意味ではそれはそれで
間違ってはいないのですが、盲目的に信じれば自我を強化します。)

この感覚から自我を切り離し、ハートそのものの微細な振動や触覚のようなものを単体で感知できるようになりたいのですが、
その過程で最初は「自分」が生き生きとしていない感覚がしたりハートが閉じた感覚がしたりすることがあります。

なぜなら、人間にとって自我と結びついた「自分」を無視されることは最も嫌なことだからです。

それでも自我の「裏」にあるハートそのものの振動を少しずつ感じとっていくことによって世界とハートがどのような関係にあるの
かということがわかってきます。

(ハート単体では個別の形や色や自他を認識できません。ハートはすべての現象に裏表なく触れていて、人間の身体においては
相対的なヴァイブレーションの無限の連なりとして感知されます)

このときに「祈り」は助けになります。

「祈り」という言葉には意味や概念が付随していますが、それそのものがわかるまでは意味と連動したエネルギーを使います。

(ちなみにこの「意味」や、先の「形」といった、現象世界の表層に顕れているものを意識的に使うことは本の中でいっていた
「魔術」的な領域なのです)

また、祈りを感謝の方向性ではなく至高の中にホワイトアウトさせる方向性もありますが、まずは身体レベルに近い前者を先に
体得するほうがよいと思います。

中途半端に頭頂からホワイトアウトさせても、その時点の認識のレベルで気絶するだけだからです。


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