10. 覚醒によってわかること

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・すべての事象がまったく新しい存在感で生々しく迫ってくる。
・顕れているものすべてが覚醒の現前であることを知る。
・目の前に顕れている存在の神秘と感謝を知る。
・曖昧なものや不要なものはひとつもないことを知る。
・この肉体の顕れを慈しむようになる。
・覚醒の根源への信頼が常にあって安心感が消えない。
・世界が固定化された3Dの様相ではなく多層的になる。
・例えていうならば、3Dにおいて三角形の平面の影を見ても同時に三角錐の立体の奥行を直観しているような感覚がある。
・すべての動きが多次元の動きのなかの一面を切り取ったものであることを知る。
・覚醒のポータルとなりうる3つのセンターは身体の幻想ありきの座標であって、覚醒の目で見たとき、ほんとうは現象世界において顕れているものすべてが、360度どこをみてもすべての点が内側と外側の境界のないポータルであることを知る。
・すべての事象が壮大なひとりごとであることを知る。
・それは例えていうならば、誰もいない惑星に設置された定点カメラのようなものである。
・あたりまえだと思っていたことがすべて必然でこのような見かけになっていたことを知る。
・次の瞬間起こることはすべて決定していてそれをただ受け取るしかないことを知る。
・現象世界において受動的な担当者であることに被害者意識を持たなくなる。
・受動的でありながら能動的でもあるという意識に至ったとき、はじめて全体のなかでの意志を問われることを知る。
・信頼が起こるとき、自動的に覚醒へ運ばれることを疑いなく知る。
・信頼が、必要なことを必要なタイミングで与えてくれる鍵となることを知る。
・信頼のベクトルが外側でも内側でもなくそれ自体としてあるときに恩寵が発動することを知る。
・自他の距離と遠近感が3D特有の相対的な法則にすぎないことを知る。
・すべての愛の感覚は帰還への「郷愁」のヴァリエーションであることを知る。
・エゴと思考はなくす必要はなく、機能として使うためのツールであることを知る。
・思考の明晰さと認識の明晰さは位相が異なることを知る。
・現象世界における見かけ上の苦しみや楽しみは続くことを知る。
・見かけ上の苦しみや楽しみに日々、一喜一憂してもなんの問題もないことを知る。
・時には一定期間、意識的あるいは無意識的に気絶して現象世界に没入し、戻ったときに思い出として味わう楽しみを知る。
・気絶している期間は短くても長くても問題がないことを知る。どちらにしても一瞬にすぎないのだから。
・究極的には一生気絶していても問題はない。問題だと思うのは個別の人間の都合にすぎないことを知る。
・しかしながら、覚醒を知ると気絶している時間は短くなる。また、いまどのぐらい自分が気絶していたかどうかを明確に自覚できる。
・必要なタイミングで必要な知識が直観でもたらされることを知る。
・人間の3Dの脳で見切れることは覚醒のごく一部分でしかないことを知る。
・わからないことが、なぜわからないのかというしくみを知る。
・しくみの直観は、それぞれのエネルギーレベルとキャパシティ、概念化能力のレベルに応じて降りてくることを知る。
・覚醒の一部として、現象世界の創造の一担当者の自覚が生まれる。
・些細な動きも起こるべくして起こっているということに日々驚愕する。
・自分の心身で起こる一挙手一投足のすべての瞬間に驚愕する。
・すべての動きが覚醒の顕れであることを見るとき周囲のすべてに生き物のような意志が宿っているかのように感じられゾクゾクする。
・ぼんやりしているうちにも毎瞬起こっている出来事すべてが必然であることを知る。
・「エゴ」がすべてを見張っていなくても問題ないことを知る。
・無意識的な行動の選択の瞬間瞬間がこちら側で見切られなくても全体にフィードバックされていることを知る。
・無意識から起こる行動や一見なんの意味もないような無駄に見える行動であっても「無意識に無駄なことをする」担当者が全体のなかで必要であったことを知る。
・無意識に呼吸をしている瞬間も、全体のバランスのなかで必要だったのであり、その瞬間がなければ今この現象世界は一瞬で崩壊していたということを知る。
・人間としての心身への同化率と存在の位相を自覚的に移動する感覚が生じる。
・身体への同化率が高ければ、すべてのものが生々しく直接触れていて自分の内で響いているところで生じていることを知る。
・身体への同化率が低ければ、現象が生じる前の分岐のスパークと膨大なエネルギーの場にただただ目を見開いて立ち会っていることを知る。
・覚醒からエネルギーを直接供給されて瞬時にリフレッシュする感覚を知る。
・現象発生以前の「あいだ」だけが永遠であることを知る。
・現象世界は、発生してしまったわたし自身との出会いの場であることを知る。
・二元と一元が両立してあることのパラドックスのしくみを知る。
・二元と一元は直列的時間においては並行して両立しているかのように感じられるが、瞬間的にどちらかにフォーカスしていただけであったことを知る。
・そもそも二元と一元の区別が問題になるのは人間の認識においてだけであったことを知る。
・人間の認識においても、常にひとつでなくてもよいし、その必要もない。
・二元の担当者として対象物を認識できなければ一元の気配を感じとれない。
・完全に一元の世界のとき、認識する者はいない。
・認識する者がいないとき世界は言及されないが、一元の状態は認識されないときにある。
・その状態は常にあらゆる瞬間、日常で起こっていることを知る。
・わたしたちはその両方をまたぐ者としてあることを知る。
・一元の状態は3Dの二元の知覚ありきで「そうでないもの」として在ることができるが、一元の状態と呼んでいるものは認識の最終形態ではない。3Dのわたしたちにはまったく理解不能な知覚形態が無限にある。
・目覚めたわたしたちが現象にとどまって魔術を試行錯誤するか、エネルギーバランスの拮抗を維持して世界を存続させるか、完全にリセットするかは、覚醒側からの促しによって協議されることになることを知らされる。
・目覚めた多層にまたがるわたしたちは、半能動的な自発性を手にするかわりに、すべての責任をそれぞれのエネルギー量に合わせてとることを知らされる。
・この責任を放棄したとき、現象世界において無為と一体化し、この世界の存在を存続させ流転にまかせるという選択をしたことになる。
・半能動的に責任を為すときは義務として強制されるのではなく、自覚的にただ存在しようという肯定の姿勢によって為される。
・責任は、自己の認識レベルのカバーできる範囲しかとれない。人間の認識において、とれる責任の範囲はごく限られるが、多層的な意識のどの層に同化しているかによってカバーできる責任が変わってくることを知る。
・責任は世界の存続が選択されるときにのみ発生する。
・世界は、ある瞬間ある一点においてすべての層で責任がとられたことによって発動したものであることを知る。
・もし現象全体の覚醒と世界の存続の共存が選択されたならば、見かけ上の時空を保ちつつ、蜂の世界に近くなるかもしれない。中央主権的(女王蜂=創造の母)でありながら各自が複眼で世界を映しつつそれぞれの役割に徹し、全体として調和がとれている世界…このような世界に個を手放して忘我することに怖れを感じるか喜びを感じるかは主体の座の位相によるだろう。
続き ⇒ <11.よくある間違い・注意点・ヒント> Rubin ―覚 醒― 認識の転換のために 【全文掲載】
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