「いまここの誤解」 「Rubin ~ルビン~ -覚 醒- 認識の転換のために」
11. よくある間違い・注意点・ヒント
・「いまここ」という言葉は時空の連続性の概念にとらわれている。
・見かけ上の連続性を解除された本当の「いま」は人間には永遠に認識できない。
・「ここ」とは見かけ上の連続性、身体の幻想ありきの空間的共通認識である。
・「あるがまま」の様相は認識レベルによって変化する相対的なものである。
・3Dにおける「あるがまま」に安住すると3Dの世界内在的な存在として在り続ける。
・「すべてがただ起こっている」ということを別の位相で見たとき、人間の周波数にとってゆったりとした心地よいものではない。
・「あるがまま」の本当の凄みを知ったとき畏怖の念が起こる。
・覚醒の生成の場においては身体という遅くて粗い波動のものは存在できない。身体の枠が形成される前にバラバラになってしまう。
・3Dを超えた「あるがまま」は丹田やハートではなく認識の座で空白の切れ目に飛び込むことでしか見切ることができない。
・突発的な一瞥は丹田やハートでも起こりうるが、認識の覚醒は訓練と強烈に突き動かされるエネルギーが必要であり、生まれ出てきた産道を意識だけで逆戻りするような圧を伴う。
・「透明な気づき」の感覚に、すでに「はじまってしまった」空間認識が付帯されていないか注意深く観察する。
・事象や物質が存在するための入れ物としての空間が先に固定されてあるわけではない。
・3Dにおける質量・奥行・遠近・色彩・形状・質感・明暗・速度のすべては、たまたまわれわれにプリセットされた認識によってそのように読み取られた共通認識にすぎないことを知る。
・「気づきが遍在している」という感覚も、3Dの空間認識が付帯している。
・それは現象世界にすでに生じた身体によって測られた空間感覚とわたしという定点があることで生じる感覚にすぎない。
・プリセットされた空間認識を完全に解除する必要はないが、感覚が生じたときにそれらはすべて空間認識が付帯された仮象であることを忘れないでおく。
・空間の広がりを感じてはいけないわけではない。自他の枠が解除されて空間が広がって見えるのは、3Dにおいて限定が解けたときに顕れるシステムである。
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