#主客合一の祈り 【11/9 (土) 東京ワーク ~所感と解説~】
【今回の主なメニュー】
・脳を活性化する準備運動 / 居座らない座法
・「唐突に顕れては消える世界」をただ映して在ること
・軸の3次元的自立と「わたし」の脱落のバランス
・主客合一の祈り / 型の構造と祈りの本質
・丹田へ脱落し「わたし」を飲み込む
・頭をシャットダウンし「存在」へ潜りこむ
・ハラで寝てハラで起きる / 存在の本質とは
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【所感と解説】
今回は「存在」の深みに触れるための導入をメインにワークを行いました。
「心身脱落」という言葉がありますが、これから展開していくワークは、なぜ「脱落」なのか、
「何が」脱落するのか、脱落したところで何がどう気づいているのか、といったことを明確
に知るための基盤となっていきます。
私たちは誰もが「存在」そのものとして在るにもかかわらず「存在」に触れることに
根元的な怖れを抱いています。
エゴにとって、「存在」に触れることは死を意味します。
なぜなら「存在」には個別の主体が依って立つための足掛かりも底もないからです。
そしてたいていの場合、この怖れと個別の肉体の死への怖れを漠然と混同しています。
死は単にイメージであり、本当の意味で気の遠くなるほど果てしなく恐ろしいのは
イメージのまま死にイメージとして生まれることです。
人と呼ばれるものは、このようにイメージからイメージへとチャンネルを変えながら表層を
流転していきます。
「存在」に触れることはある意味、エゴの生存維持のストッパーを外すことともいえますが、
だからといってエゴを抹殺しようと試みることは失敗します。
なぜなら、エゴの考える「自死」もまた、死のイメージからなるものだからです。
それでは、イメージではない「存在」とは何でしょうか。
それは比喩でも誇張でもなく、底も境界もない、すべてを包括する基盤です。
そこは「気づかれる前」の何かであり、光が生まれる前の何かです。
そこにおいてあらゆる現象は唐突に生まれ、気づかれた瞬間に発火とともに仮初めの中心を
つくっては、掴まれることなく同心円状に消えていきます。
地面と引力という足場のないそこでは、何ものをも積み上げていくことができません。
それにもかかわらず、消えていくそれらは鮮烈に響きとしてあります。
それは熟睡状態の奥底のようなものでありながら、寝ても起きてもおらず、生きたり死んだり
することも「できません」。
…なぜなら、死ぬための「私の枠」がどこにも見つからないからです!!
その一部始終を、目ではない何かではっきりと「見て」いるのです。
見ることと在ることが、完全に一体化して同時に起こっているのです。
それは言葉のうえでの「無」というものなどではなく、私がないからこそ確かに「在る」
としか言いようがないものです。
現象世界の私たちは無意識のうちにそれの「存在感覚」を知っています。
知っているからこそ、エゴは怖れるのです。
ワークではこれからさらに深いところに切り込んでいきます。
その過程で、日常的に「あれっ?」と空白のギアチェンジのような瞬間が少しずつ増えていく
ことになるはずです。
このときに「怖れ」が出てきたとしたら、それはむしろ「存在」の手触りに気づきはじめる
前触れです。
この根元的な怖れの実態をよく見ることです。
注意が必要なのは、「存在の深さ」と「集合意識的な領域」を決して混同しないことです。
集合意識的な領域もまた、別の次元の深さと畏れを持つものなので勘違いしやすいのですが、
そちらに引っ張られれば底なし沼のように抜け出ることができません。
なぜなら、この領域は現象世界の進化のすべての歴史と畏れと幻想を含むものだからです。
これは一見、エゴの根源を探っていくような郷愁にも似た感覚を伴うため、いったんはまると
自己を重ね合わせ意味を探るのに夢中になりはじめますが、どこまで行っても実体のない怖れ
と幻想の中に入っていくだけです。
瞑想の途上では必ずこの集合意識的な揺り戻しが起こってきますが、そこに意味を見いだ
そうとしないことです。
また、神話的なアーキタイプにも引っ張られないようにします。
これらは実際、物理的な電磁気力に近いような強力なエネルギーを持っていて、私たちを
眠らせ夢の世界にとどめておこうとします。
怖れのストッパーを最後にはずすのは祈りです。
祈りの本当の意味はそこで見出されます。
主客合一の祈りは時にそれ自体で爆発的なエネルギーと至福をもたらしますが、
この至福の大きさは「存在」の深さに比例します。
深さを知らなければ至福は常に肉体の意識の及ぶ範囲までしか広がりをもちません。
ワークでは、今の段階では殊更に至福を取り上げることはしていません。
なぜなら、肉体の意識の範囲内の至福であっても人はそれだけでとりあえず満足して
しまうからです。
ただ、本当に満足すればそれでよいのですが、この意識内での至福は微妙な不足感を伴い
「もっともっと」という渇望と、至福から戻ったときの落差の苦しみを生み出します。
そのため、ワークでは「存在」の深みに触れ本質を見ることのほうを重視しています。

ワークでしばしば登場するゴムバンド
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