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【2/8(日) 東京ワーク】 ~所感と解説 その1~      

2020/02/11

2/8(日)東京にてワークを開催しました。


【今回の主なメニュー】  

・姿勢の調整 / 軸に消えるためのニュートラルな身体
・丹田の具体的な感覚と呼吸 / 肉体と意識のあいだにある丹田感覚
・「ハラで見る」具体的な内部感覚 / 現象が「わたし」の中に在る感触
・「ハラ=存在=わたし」の消失点と現象の起点が一致して響くとき
・受動と能動のあいだで唐突に生成消滅し続ける現象を見る
・身体を「置いておく」~体の所有感覚が消えたとき世界はどのように見えるか
・身体と意識の「あいだ」の感覚を直接体感する


********************

【所感と解説】  


今回は存在の基盤となる丹田の内部感覚を中心に、意識と肉体の境界を越えた
ところで何がどう響いているのか、主体が消えて受動と能動のあいだにあるとき
現象がどのように起こっているのか、ということを具体的に体感していただきました。

(丹田の位置や働きや呼吸と意識との関係は前回までのブログ記事をご参照ください)



【「ハラで見る」具体的な内部感覚 / 現象が「わたし」の中に在る感触 】

まず、呼吸をたよりに肉体として認識できる丹田の一番奥を探してもらい、
そこからさらに細く繊細な意識レベルで肉体とイメージの境界線を超えたところ
へ入っていきます。

境界線を超えたところで、瞬間瞬間に起こっている事象を起こってくるままに
見ます。

このとき注意するのは、一瞬なにかの事象にとらわれてもやもやっとイメージの
連鎖に巻き込まれて気絶しないことです。

また、頭の中で見ているという感覚を落とすために、多少意図的にはなりますが
頭部の中心から意識レベルを落として半覚醒状態(半分寝ている)になって丹田
の底にすとんと落ちている感じにします。(ハラだけで気づいている感覚)

この状態までは段階を踏みながらこれまでのワークで行ってきたため、参加者さん
にはひとまずこのポイントに入っていただきました。

次に、写真のような重り(今回はネットに入ったビー玉を使用)の上部に輪ゴムを
結びつけたものを丹田の前で持って、ごくごく小さな動きでゴムの張力とビー玉の
重さを感じつつ床にくっつけたり離したりします。

IMG_3119.jpg

このとき、意識は重りを持っている手のほうではなく丹田のほうに集中し、重りの
上下とともに丹田内部で変化する感触に集中します。

しばらく集中して続けていると、ビー玉が床から離れる瞬間と床へくっつく瞬間の
前後にごく微細な空白があることが丹田内部で感じ取れるようになります。

この空白が一瞬あってから「ふっ」と浮いて上下へ引き延ばされるような動き
の感触が生まれます。

粗い意識で雑に見ていると、この空白と浮力を見逃してビー玉の物質的な重さ
と丹田内部の圧を一体化させて「重さ」「力み」として動きをひとまとめにして
感じてしまいます。

例えば、ワンネスの「物質世界寄り」の感覚においては「通りの向こうを走る
自動車が『わたし』として『わたし』の中を通り過ぎていった」という体験をする
ことがありますが、ここでいう「中」と「動きの感触」は上記の丹田=存在の座で
起こっています。

(ただし、ワンネスの体験というのは身体の一部の箇所だけで起こることではなく、
心身のトータルなバランスの「あいだ」で起こることのため、丹田感覚だけを
肉体的に単体で磨けばよいというものではありません。
逆にいえばハートの感覚や気づきの感覚だけでは物質世界の構造と幻想を
ガツンとした衝撃をもって理解することができません)



 【「ハラ=存在=わたし」の消失点と現象の起点が一致して響くとき 】

次に、上記の丹田の感覚を確かめてある程度集中力が高まってきたら、
今度は丹田の前に割り箸を立てて持ってもらい、軽く持ち上げてコトンと垂直
に床に落とし、その音の振動が直接丹田に響くことを感じていただきました。

IMG_3126.jpg

このとき、コトンという音を耳で聴くのではなく、音の響きの中心が丹田の中心
と一致するように内側から感じとります。

もっといえば、振動となった段階を内臓感覚でとらえていれば、それは物質の
段階であり、それそのものではないということになります。

だからといって身体としての「この私」が音の響きの「前」に意図的に入り込もう
としても間に合いません。

なぜなら、物質と同化した私の認識は、音速よりもはるかに遅いからです。

しかし本来、純粋な意識そのものは距離も速度もありません。

そのため、丹田の底で受動でも能動でもない「あいだ」にあってそれに対する
一切の私の判断が認識されていないところに音が起こったとき、すでにして
そこにズレのない空があるのです。

ただ、空そのものを見ることはできません。

なぜなら、空そのものは「空そのものである私」との完全な一致であって対象化
が起こらないからです。

現象世界で「わかりたい」と思う私は、その感触を知ることしかできません。

その感触の手がかりとして私の存在の深いところに触れる「振動」のはじまりが
あって、振動の起点と私の起点が出会ったときに鮮烈な感触がスパークすること
を感じることになるのですが、この振動自体はすでに現象世界のものです。

この起点の「始まりの始まりの始まりの始まり…」を無限にたどっていくと、人間
としての認識の限界のレベルに達した地点で、真空に吸い込まれるように意識
はブラックアウトします。

このブラックアウトした地点から先を対象化することは不可能です。

参加者さんの一人は、箸の先が「コトン」と鳴ったと同時に「びくっ」と小動物の
ようにハラの中から身震いして意識が頭に昇って目を見開きました。

この場合、音の瞬間自体はハラでとらえているのですが、認識は肉体の皮膚
と筋膜と内臓のレベルにとどまっています。
(動物はこの感覚で危険を察知し瞬間的に反応します)

身震いしてはいけないわけではなく、身震いの奥底の中心の空に完全に意識
が落ちていれば、反応より前に空そのものの真空に吸い込まれ続けて身震い
の振動を「自分のもの」としてではなく淡々と見送ることができるようになります。

このとき注意が必要なのは意識を意図的に奥底に留めておいて生体的な反応
が出ないようにするのは違うということです。

いわゆる「無執着」を勘違いして意図的に無反応になろうとすれば意識レベルは
その地点で固まって動かなくなり、固まっていること自体にも気づけなくなります。



【受動と能動のあいだで唐突に生成消滅し続ける現象を見る】

前回、爪楊枝を使って(爪楊枝を指に刺して観察する)能動と受動のあいだに
起こっていることを見るワークを行いましたが、今回はさらに微細に観察して
いただきました。

IMG_3071.jpg

皆さん、ある程度のレベルまでは正確に観察できていて、固定化された空間や
前後のつながりなく様々な現象が起こっては消えていく様子がとらえられていました。

ここで気をつけたいのは自分では集中して見続けられていると思っていても
途中途中でふらふらっと現象の一つにはまり込んだり、もやもやっとした空白の
イメージに気絶したりしている瞬間がなかったかどうかをよく見ることです。

このような瞬間が起こっているにもかかわらず、脳は勝手に前後の時間を
編集・補正して自分が見たいと思ったことに都合のよいように書き換えます。

すると、瞑想においては前後の書き換えによって気絶していた時間が
「なかったこと」と認識され、自身では「うまくいった」というように勘違いします。

この脳の仕組みを理解し、エゴの都合よく補正しようとする再編集の罠に
気づけるかどうかが次の段階への鍵となります。

この「再編集の罠」は、その人の性質と思考パターンそのものが顕われています。
(さらに微細なレベルでは人というより脳の認識パターンの構造の問題になります)

また、今回はじめて参加された方はこのワークで「ある程度(爪楊枝の刺さった
先端の刺激が「痛み」という概念に変換される手前ぐらいのレベル)までは気づく
ことができるがそれ以上の微細なレベルで見切ることができない」とレポート
されました。

これは単純に集中力が不足しているためと、脳が「自分が知っている感覚」
のレベルに編集したものを認識しているためです。

本来、純粋な意識そのものはすべての現象を同時にあらゆるレベルで見ているの
ですが、人間の脳においては自分にとって必要かつ理解できるレベルの要素に
還元・編集して対象物を認識します。(生物としては、そのほうが生き延びるために
効率がよいため)

例えば、爪楊枝の刺激の場合は「先端が触れる感触・皮膚が押される感覚・先端が
めり込んでいく動きの感覚・皮膚下の電気的な刺激・それらすべての感覚にとらえら
れる直前の名付けられない何か」というような一連の現象が一瞬の間に次々に起こっ
てくるわけですが、それらのインプットされた要素のいくつかを脳内で繋ぎ合わせて
必要な情報だけをアウトプットした結果が「痛み」という言葉として認識されます。

この方の場合はもう少し繊細に感じられてはいますが、まずは無意識の脳の認識
パターンにとらわれていることを知り、内側から分解させることです。

ここで非常に重要なのは、意図的に微細な要素に分解して見ようとしないことです。

意図的に見ようとすればその意思のベクトルと圧が意識を固定化します。

前回ブログで、完全にバカになる状態について説明しましたが、頭の中心から
完全にテンションを抜いてただ映っているものを映っているままに見ることです。

そのとき、内部の目で見ているというよりも「ふっ」と意識に触れた感触のしっぽの
「残像」に距離なく気づくという感覚になります。

この状態のとき、「何か」になりきる前の現象の萌芽が見切れるようになります。

さらに集中力が高まれば、「残像」は鮮明になってフラッシュの連続のように唐突
に顕われては消えていく状態になっていきます。


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【2/8(日) 東京ワーク】 ~所感と解説 その2~ に続く



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comment (0) @ ワーク
【2/8(日) 東京ワーク】 ~所感と解説 その2~       | 2/23(日)13:30~16:30 「大阪ワーク開催日時が決定しました」      

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