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【2/8(日) 東京ワーク】 ~所感と解説 その2~      

2020/02/11

【2/8(日) 東京ワーク】 ~所感と解説 その1~ からの続きです。


【身体を「置いておく」~体の所有感覚が消えたとき世界はどのように見えるか】

以前「居付かない座法」に関連して身体を「置いておく」説明をしましたが、今回は
ある程度集中が高まったところで具体的に「置いておく」感覚がどのようなものか
を体感していただきました。

まず、各自のレベルで身体の軸に自身が「消えている」状態に入ってもらい、
壁の前に立って手のひらを壁に置きます。

IMG_3108.jpg

その状態で手のひらと壁の接触面で起こってくる現象を先の爪楊枝のワークと
同じように能動でも受動でもない「あいだ」で観察します。

このとき、肉体の目ではなく内部の目に全体が映っているようにします。

しばらく観察を続けているうちに、手のひら全体を見ると自分の手ではない
ような奇妙な感覚が起こってきます。

参加者さんの手が壁と一続きに区別がなくなった感覚になったところで
私(AYA)の手を参加者さんの手の横に置いてみます。

すると、参加者さんは自身の手とAYAの手の区別がわからず、ただ誰の
ものでもない2つの手のひらを眺めているような状態になります。

そこでゆっくり壁から手のひらを離していってもらうと、集中力が途切れた
瞬間に「自分の手」であるという感覚が戻ってきますが、集中力が続けば
自分のものではない手が視界の中で動く様を奇妙な感覚で眺めることに
なります。

これが身体を「置いておく」ことの体感です。

よく瞑想していて「身体を動かそうとしても動かせなくなった」というのは上記
の初期段階で身体が金縛りのように固定されている状態なのですが、さらに
集中力が高まれば、動作をしながらでも身体とエゴの意図がくっつかずに
動作が勝手に起こっていることを眺めていられるようになります。

スポーツなどで起こる、いわゆる「ゾーン」の感覚はこれと同じものです。

今回の参加者さんは皆、想像以上に短時間で集中力が高まった状態に
入れていたので、この感覚の手触りを実感していただけたと思います。

この状態をある参加者さんは「まるでVRを見ているようで気持ち悪い」
と表現されましたが感覚としては近いものです。


※参考までに、この方の質疑応答の一部を以下にシェアします。

手を壁について押すでもなし引くでもなしの状態においてモノとして観る
というのはVRを見ているようで面白かったです。
同様にいままで指導されてきた体が「真ん中にいる」というのは、
この状態を作るためであったと納得できました。


集中力が高まってくると自分の身体や周囲の物がVRのような奇妙な
感覚で見えてくるようになります。

さらに集中力が高まると、歩く、食べる、等の動作を行いながら同じ
感覚が続くようになります。

途中で壁から手を放して手をひっくりかえして見ていたときも集中は
途切れていなかったようなのでかなりいい感じですね。

先日は短時間でその状態に入れたのは集中力の高まりと物の見方
のシフトが起こりつつあることの証明といえます。

ただし、「モノとして観ている」状態はあくまでも結果的に起こる見え方
であって、目に映る対象物すべてを単純に「モノ」として自身と切り離せば
よいということではないのです。

それではモノ(=対象物)対 自分(鑑照者)という構造がなくなりません。

重要なのは能動でも受動でもない「あいだ」にあってそこで起こってくる
現象を淡々と「映っているものが何であるかという判断なく」あり続ける
ということです。

その「ある」状態の一環として、例えば壁に置いた手(と呼ばれていたなにか)
から自分の所有物という感覚が抜け落ちて初めて出会う未知のものの
ように他のものとの区別なくそこに生々しく顕われていることを発見するのです。

また、この見え方というのは集中力の高まりと自分が消えるポイントの途上
で起こることであって、これがゴールではありません。

新しい見え方に興味を持つのではなく、それを成り立たせている構造のさら
に奥深くに入って行って存在の核心に触れることが覚醒です。
(それは先日行った、音の中心そのものの空に自身の核心が触れることと
同じです)

この、奥深くに入っていくときに必要なのが「あいだ」にあるということなのです。

見え方のシフトの段階ではまだ肉体に近いところの「あいだ」で転換が起こって
いるにすぎません。

これから先は非常に鋭利で繊細な気づきと集中力と直観を要するようになります。




【身体と意識の「あいだ」の感覚を直接体感する 】

最後に各自の「あいだ」の感覚のチェックと直接的な体感のために、
禁じ手?を試みました。

丹田を意識しながら座って片手を差し出してもらい、その手の上に
AYAの手を重ねます。

すると、その方の内部と意識で何がおこっているのかが手の接触面の
「あいだ」を通して直接伝わってくるので微妙に調整しながら「これは違う」
「これです!」と伝えます。

実際に触れてみるとその方の意識の在り方や個性がダイレクトに伝わって
きますし、内部感覚を理解しているかどうかが明確にわかります。

他人の手が重なっていることで最初は戸惑って緊張で固まっている方も
いらっしゃいましたが、皆さんそれぞれ「これだ」という瞬間を体感していただけ
たと思います。

ここで注意が必要なのは、体感された感覚もまた現象の一部であるということです。

この感覚を肉体のバランスのレベルにのみ還元して再現しようとしたり、その感覚
にさえ入っていればいいと態度を固定化したりすることは違います。

感覚はあくまでも感覚であって、結果として顕われたものにすぎません。

また、この感覚が空だ、などと短絡的に結び付けないことです。
(身体に偏重しすぎるとこのような思考に陥ります)

今回は、参加者さんとの信頼関係が構築されてきたこともあって禁じ手的
にお伝えしましたが、本来は「何がその感覚を成り立たせているのか」
を自身で直接知ることが最も重要なことです。


IMG_3133.jpg
集中したいとき30分前に摂るブドウ糖



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