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#能動と受動 #あいだ  【9/5(土) 東京ワーク ~所感と解説~】   

2020/09/09

◆9/5(土)東京にてワークを開催しました。

ワーク1


**************

【所感と解説】


◆今回は初参加の方が数名いらっしゃったので、すべてのベース
になる「能動と受動のあいだ」の気づきをメインに進めました。

ここは、基本でありながら最後の核心部にまで直接つながっている
重要なポイントです。



◆まず、「あいだ」を見切るための土台として、以下のエクササイズ
を行いました。

※それぞれのワークの方法と解説については
下記にある過去記事を参照してください。

・軸に消えてあるためのエクササイズ
http://rubins-work.com/blog-entry-60.html
http://rubins-work.com/blog-entry-68.html

・インテンションのベクトルとはじまりを見切る
http://rubins-work.com/blog-entry-61.html

・意図が落ちたインテンションの感覚を知る
http://rubins-work.com/blog-entry-61.html



◆ニュートラルな身体と気づきのベースを共有したところで、
ここ最近、毎回恒例になりつつある「爪楊枝」をつかった
ワークを行いました。

IMG_3071.jpg


※前回・前々回の爪楊枝のワークの様子と方法
http://rubins-work.com/blog-entry-69.html
http://rubins-work.com/blog-entry-72.html

~前々回のブログより~

能動でも受動でもない、どこにも属さない「あいだ」とはなんでしょうか。

今回は、一見他愛もない遊びのようですが小道具として爪楊枝を使って
実験してみました。


最初に爪楊枝で軽く指先などをチクっと軽い痛みが起きる程度に刺してみます。

何度か刺してみて、その瞬間の感覚や反応を観察します。

次に、爪楊枝を利き手で持って「能動者の意識=刺す側の意識」になって逆側
の手の指を刺してみます。

その次に、こんどは「受動者の意識=刺される側の意識」になって爪楊枝が指
に触れてから刺されるまでの感覚を見ます。

能動者のときと受動者のときの刺す⇔刺される瞬間の感覚や心理的な反応の
違いが観察できたら、能動受動を意識せずに単純な行為として爪楊枝を指に
刺してみます。

刺す行為を何度かゆっくり注意深く繰り返してみて、瞬間瞬間に先ほどの能動
か受動のかすかな感覚が発生していないかどうかを観察し、そのどちらでもない
ニュートラルな瞬間がどこにあるかを発見します。

そのニュートラルな瞬間には、爪楊枝の先端と指の接触点では何が起こって
いるでしょうか?

さきほどまで「チクッとした痛み」と名付けられていたものが意味を失い、刻々と
変化しながら起こり続け果てしなく分割可能な点の断続に気づかないでしょうか。

そこにはすでに心理的な反応は介在していません。

なぜなら、個別の能動者も受動者も存在しないからです。

そのときその瞬間は、誰のものでもないのです。

そこではただ、唐突に現象の断続的な変化が自動的に起こり続けています。

これが、いかなるベクトルも発生させずに「あるがままの世界を見る」ことです。

あるがままの世界を見ているとき、観察者は現象そのものの中心と一体化して
消えています。

「あるがままの世界を見る」というよりも、正確には「あるがままの世界としてある」
といったほうが近いかもしれません。




◆この、能動と受動のあいだというのは、どの位相のどの瞬間にも
全てにおいてあるものです。

このことをまずは3次元の物質を通して体感していただくために、
上記の爪楊枝のワークに加えて、今回はナイロンの糸を使ってみました。

糸


まず、2人組になって糸の両端を指でつまんでもらいます。

そして、糸をピンと張って相手と自分のあいだで起こる微細な振動や
バランスが取れて一瞬止まっている状態を感じ取っていきます。


微細な振動を感じているときは、2人の間で糸の引っ張り合いの
駆け引きが起こっていますが、バランスが取れているときは、糸の
張りの感覚自体が消えて真ん中でふっと質量の消えているような
ところが見つかります。

ここは能動的に引っ張っても受動的に引っ張られてもいない
均衡なポイントです。

この真ん中にお互いの意識があるとき、その瞬間2人は同時
にそこに消えています。


次に、お互いの微細な振動を感じとりながら瞬間瞬間、糸の
バランスのとれる方向へ感覚をたよりに移動していきます。

すると、2人の身体が思いもよらない方向へどんどん勝手に
進んでいったり回転したり上下したりしはじめます。
(皆さんの動きは即興的なデュエットのダンスとして見ても
優雅で秀逸なものでした。)


このとき、糸の移動と運動のどの瞬間にも先ほどの「質量の
消えているところ」があることを見出せます。

見かけ上、止まっていても動いていても、どの瞬間にもそれが
あるのです。

この実験ではシンプルに2方向のバランスから起こる力学的な
消失点を体感していただきましたが、実はこの消失点は360度
どのバランスの中にもあって、どの方向のどの瞬間にもあるのです。

そしてまた、物質のみならず思考や感情や意図やエネルギーと
いったすべてのものに、このポイントが瞬間瞬間に無限にあるのです。
(これは、単純に物質的な力学に還元しているだけでは体感的に
見切ることが難しいですが、原理としては同じことです)


糸で例えるとイメージとしては、ひとつの思考の瞬間に360度すべての
方向に糸が引っ張られていてその瞬間のバランスをとっている感覚です。
(360度というのはあくまでも3次元で例えた場合です。多次元から
見れば別のベクトルが加わってきます。)

このように、あらゆるものが360度引っ張ったり引っ張られたりしながら
無限にバランスをとっていて、そのひとつひとつの「決定された」バラン
スの真ん中はそれ自体として消えているのです。

これは現象世界の極小から極大まですべてのものに共通しています。


ある意味、現象世界側の理解としては、このことがシンプルに腑に
落ちればよいといえます。

ただ、おそらくそれらの消失点をバラバラに見出すことができても、
運動の連続性や「わたし自身」の存在や認識との関係性が腑に
落ちないということがあると思います。

これは、サマタが高まっても対象と気づきが並行し続ける問題にも
関係していますが、認識とハートと丹田それぞれの明確な理解と、
軸に消えて存在に脱落してあることによって一気に解決します。



◆次に、同じことを壁をつかって体感していただきました。

IMG_3108.jpg

まず手のひらを広げて壁に触れます。
そして思い切り壁を能動的に押してみます。

壁を押したままこんどは壁から受動的に押し返されている
圧を感じます。

そして、手をそのままの圧でそこに「置いて」おいたまま、
能動でも受動でもないあいだを見つけます。


あいだが見つかったら、そこで起こってくる一瞬一瞬の圧の
変化やゆらぎを見ていきます。

ここでポイントなのは、手を「自分の手」の感覚の延長で置くのでは
なく、内部の目から「誰の手でもないもの」として見ていることです。

このとき、手と名付けられていた「何か」が視界に映り込んでいる
ところで、壁との接地面で起こることだけを気づいている状態になります。


tamago.jpg

この状態になったら手を壁から離し、こんどは手のひらに卵をのせて
割れるか割れないかぐらいの強い力で握ってみます。

(卵を小道具に選んだのは、割れるか割れないかという緊張感を
気づきの精度に意図的に転換できると考えたからです)

壁を押していたときと同じように、卵と手のひらの接地面の能動でも
受動でもないあいだを見つけます。


あいだはふわっとした隙間のイメージではなく、強いテンションや
どのような物質や運動の真ん中にもあります。

その感覚をつかむとともに、能動と受動のバランスのゆらぎを見て
いくと、どのバランスで自分という感覚や意図がでてくるかが
見切れてきます。


tamago2.jpg

tamago3.jpg

しばらく「あいだ」に起こってくる現象を微細に見ていった後、
卵をそっと床に置いてみます。

すると、よほど集中力が高まっていないかぎり通常、手のひら
から卵が離れた瞬間「自分が握っていた卵」と「床に置かれた卵」
との間に断絶が起こります。

床に置かれた卵は、手のひらの中にあった時と同じように、あいか
わらず能動でも受動でもないあいだにピッタリのバランスでそこに
存在しているのにもかかわらず、なぜそれは「私から離れたもの」
になったのでしょうか?

何が卵と私を隔てたのでしょうか?


そのことを確かめるために、卵をもういちど握ってみて、
床に置いてみます。

あらん限りの集中力をもって、「あいだ」からその瞬間を見ます。

指からふっと卵が離れた瞬間、何が離れたのでしょうか?


手を徹底的にただ「置いておく」ということと、能動と受動との
あいだに私が消えていることで、この断絶はなくなり、握っていた
卵は手から離れても一続きの存在としてただ在りつづけます。

これら一連のことすべてが、あいだに消えている私の中で地続き
に展開しているのです。

これはシンプルなワークですが、集中力が一瞬に結実すれば
これだけで覚醒に触れることもできるといえます。



◆ワークの終わりに、ある参加者さんが「あいだの感覚はつかめ
たのですが、ゆらゆら揺らいでしまいます。あいだが見つかったら
それをキープしたほうがよいのでしょうか?」と質問されました。

自身では能動的に「キープしよう」と一切考えないでください。

気づき自体は一瞬一瞬切れていてかまいません。


あいだの一点に自動的に「集中してしまっている」ことは必要です。

でもこの集中は勝手に起こっているのです。

ただ、集中が勝手に起こるにはある程度の訓練は必要になります。

そのために、今回は行いませんでしたが、丹田の奥底に集中していく
ワークがあります。


集中が自動的に「吸いつく」ような感覚になってはじめて、そこから
逸脱する微細な動きや意図が見切れるようになります。

これは集中しながら醒めて見ているような状態です。

この状態において、先の「卵と私」の区別がなくなるのです。
(正確にいうと、この状態では認識の境界線がなくなる段階であって
私自身の存在との一体化はもう一段別の仕組みが必要となります)


この参加者さんは、あいだの感覚や丹田の感覚や内部の目の感覚
などを繊細に感じ取られているので、今回の質問のようなちょとした
思い違いで脇道に逸れなければ、バラバラだった気づきがご本人の
タイミングで統合されていくだろうと思います。



◆ここ数回のワークで思うことは、覚醒のトリガーは人それぞれで、
その人その人の入口があるということです。

一人一人の入口をピンポイントで見つけて直接働きかけれたらと
いうエネルギーが私の中で沸き起こってきています。

その人にフィットしない方法をいくら続けても、できないことだけに
フォーカスして委縮していってしまうのは悲しいと感じるのです。

物理的な制限でなかなかお一人お一人と向き合う時間がとれない
状態ですが、グループワークにおいてもこの点は常に心していたい
と思います。


今回、ある参加者さんが糸のワークのときに思いがけず生き生きと
弾んでいらっしゃるのを見て、とても嬉しくなりました。

パっと見たかぎり繊細な神経をお持ちで、繊細だからこそ外部に
侵入されないように観念をもって自身からズレたところに軸をつくろう
とされているように見受けられたのですが、実はこの方はある種
(男性ですが)「巫女」的な感性をお持ちなのではと発見しました。

この感性は、前回のワークのときにもその一端がちらっと見えたの
ですが、今回さらに確信しました。


ご本人は硬派な哲学や修行を望まれているかもしれませんが、私は
個人的にその方の巫女的な感性の延長にとてつもない集中力と
突破口があるような感触を得たのです。

ただ、私だけがそう感じていてもご本人の意図やタイミングと合って
いないと無理やり進めることはできません。

それでも、私としてはこのような発見をさせていただいたことは
今後の指針になってくるだろうと感じています。


この方にかぎらず、参加者さん全員それぞれの存在の煌めきが
諸所に感じられ、今回も密度の濃いワークとなったことを感謝します。

ワーク2


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