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【#UFOと言語学 #因果の重ね合わせ #サマタ力 覚醒からのつぶやき 7】     

2020/10/10

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◆いかなるものにも定義されない自分自身であろう。

◆自分も他人も定義しないとき、子供の頃見ていた美しい世界が帰ってくる。

◆思考という計算機は使ってよいが、計算高い思考にならないようにする。

◆目を開けて机に指を置く。
目を開けて足に指を置く。
目を開けて顔に指を置く。
目を閉じて机に指を置く。
目を閉じて足に指を置く。
目を閉じて顔に指を置く。
そこに何がありますか?

◆ジャンプするときには地面を踏み込んでから反発で飛び上がる。
その、飛び上がる直前の、足の裏が未だ地面に付いているときの
感覚で立禅や座禅しよう。
ただし飛び上がってしまうと気だけ昇って重力で落ちるだけなので、
身体は地面にぴったり付けておく。
これがどこにも居座らない状態だ。

◆現実世界のほうが夢なので、ある意味リアリティの整合性の結合が緩いんですよね。
だから実際、この世界は不条理だらけだし何だって起こりうる。
逆に、覚醒した世界は緩みがありません。

◆世界は不条理だからこそ奇跡も起こるが、現象として顕れた奇跡の神秘性に
惑わされるのではなく、何でも起こりうる危うい夢の構造の方を見抜こう。
奇跡はそのためにある。

◆全員が良い人になっても、全員が悪い人になっても、世界は消える。
良い人が悪い人を創り、悪い人が良い人を創る。
そうやって持ちつ持たれつ協力して世界を保っている。
だが、世界創造のバランスゲームは良い人と悪い人というバランス以外でも保ちうる。
そろそろ気づこう。

◆世界を保たなければいけない義務も義理もない。
消しても消しても次々に顕れるから。
今この瞬間も、生まれた。
だからといって、使い捨てにしてると、劣化版で再生することは肝に命じておく。

◆正義心は心身を固める。

◆意識の風通しがよければ心地良いが、吹き溜まりができても慌てず
次の風向きを待つ。

◆百年の気絶も、一晩の気絶も、一瞬の気絶も、同じもの。

◆思考を見張ると気づきが凶器になる。

◆気づきは綿毛で触れるよりも軽くていい。

◆見たくない部分は気づきが落ちても気づかずノーカウントにしている。
ノーカウントの時間は、深く沈殿して闇となる。

◆カッコよくやろうとすると苦しくなる。
いま在る生を、愚直に全うするだけ。
それが結果としてカッコよさになる。

◆何かを信じるたびに目に鱗がくっつく。

◆私がある幸せはいつか消えるが、私がない幸せはいつもある。

◆幸せは自家発電しよう。

◆何もつかまなくていいとき、幸せは理由なくお腹の底からふつふつ
と湧き上がってくる。

◆ふつふつと湧いてくる幸せの種を見つけたら、爆発させようと欲張らないで、
花粉のように細かく放出させて静かに愛でる。

◆幸せの花粉は刻一刻と色合いを変えていくが、このエネルギーに
名前をつけたとたん、限定された幸せに留まる。

◆すべてのエネルギーがひとつのところにあって、刻一刻変化しつつ世界
に流れ込んでくる。
その中の限定されたエネルギーだけをつかもうとすれば、限定された存在に留まる。
私を通りすぎていくエネルギーの変化そのものを愛でよう。

◆「○○のエネルギー」と名付けたものへの信仰は、光のスペクトルの一色
だけの世界に限定するようなものだ。
世界の本質は境界のないすべてのスペクトルの変化し続けるうねりのダイナミズムだ。

◆とはいえ、一つ一つの色を知らなければ変化に気づけない。
現象世界はそのための学びの場だ。
一つのエネルギーを深く味わえば、他のエネルギーの味わい方も理解する。
味わい方を知ったら、味わう自分と個別の境界を手放して、変化そのものになる。

◆エネルギー酔いは甘美だが覚醒そのものではない。

◆酔っ払いは「酔ってない」と言い張るが、本当に酔いの中心にいられるならば
酔ってもいい。
酔いを物のように完全にそこに置いて置けるなら。
でも、それならもう、自分が酔う必要はなくなる。
この世界のすべての酔いは、忘却の希求だ。

◆気づきの距離がなくなったとき、世界はまるごとわたしの生命活動となる。

◆気づきの距離を自分でなくそうとすることは、目の前のコップを念力で
自分にくっつけようとするぐらいナンセンスだ。

◆どんな人でも、その人の良いところを見つけて愛でよう。
まったく見つからなくても、そのユニークさを愛でよう。
そうするうちに、自分自身のまだ気づかない良いところが見つかる。
そこに気づいて、生きる力を取り戻そう。

◆自己を離れることは生きる活力がなくなることではない。
活力そのものになるのだ。

◆因果の外には出られない。 絶対に。
だから、因と果の重ね合わせの中心に消えるしかない。

◆わたしたちは本来、一切の制限がなく自由だが、無制限を権利に掲げれば、
限定された自由に留まる。

◆人が覚醒するのではなく、その人の目を通して覚醒が覚醒する。
そのときその人の目は、覚醒と世界のあいだの透明な回転扉になる。
その人がいるかいないかは、言葉の遊びだ。

◆「いる」と「いない」は言葉の上では真逆だが、「いる状態」と「いない状態」
のあいだには無限のグラデーションがある。
どこからが「いる」でどこからが「いない」のかは、その人の次元の主観的な
感覚にすぎない。
確かなのは、覚醒においては、いるとかいないとかを考える隙は一切ないということ。

◆そもそも「いる」と「いない」は3次元の感覚であって、わたしたちの想像もつかない
認識形態においては、例えていうならば「いるいない」とか「いないいない」とか
「いいるない」とか「ないいいる」とか理解不能な別の言葉が存在するのだ。

◆覚醒は言葉で表現できないというが、例えば「ぴぽぽ」という新しい言葉が
覚醒状態を「完璧に」言い表す言葉でそれが世界中に広まるならば、
覚醒は瞬く間に伝播しうる。
その言葉が今のところ見つからないのは、言葉の構造自体が二元性に由来しているからだ。

◆「ばかうけ」の形にそっくりなUFOがでてきて話題になった映画「メッセージ」では、
認識形態の異なる生命体と言語学者が言葉の解読によって意思の疎通を図ろうとする。
この生命体の時間と言葉は地球とは異なる円環構造だった。
その理解の過程で時空の概念の転換が起こって世界が救われた話。

◆母親が東北生まれの東京育ちで、東北弁はまったく話さないが、なぜか
「いずい」という言葉だけはたまに使う。 「しっくりこない微妙にむずむずする違和感」
のような意味らしいのだが、その体感をうまく言い表す標準語がないからだという。

◆その言葉を何度か聞くうちになんとなく「いずい」体感がつかめてきた。
このように、知らない言葉によって今まで埋もれていた感覚が掘り起こされることがある。
覚醒もそのように、ただ、それを体感するための言葉が発見されずに埋もれているだけなのだ。

◆なんらかの体験で感動があふれ出てきたら、外側の感情にもっていかずに、
感動の中心のエネルギーを細かく小さくどこまでも凝縮していってハートの奥の
真空に吸い込ませる。
そうすると隠れていたポータルが見つかる。
いつまでも感動屋のままだと肉体の波動にとどまる。  

◆その際、肉体の反応である涙や鼻水や嗚咽は勝手に出るにまかせておく。
感動する自分に感動しない。
それらはそこに置いておいて、凝縮されたエネルギーを中心に吸い込ませ続ける。
このとき、肉体側にひっぱられる拮抗でGがかかるように細かく震えだしても、それも置いておく。  

◆目もハートもハラも、現象と思考と感情のごちゃごちゃの癒着をいったん整理する。
これは本当に必要。
ごちゃごちゃの認識でごちゃごちゃのものを見ても、ごちゃごちゃの気づきのままなのだ。  

◆本気でサマタ力を高めたければ、いったん瞑想から離れて、生まれてから今までの
すべての感情の未消化物を記憶のかぎり虱つぶしに追っていき、ひとつひとつ具体的に
納得して昇華させていく。

◆何をもって納得とするかは、ひとつひとつの体験によって違うが、リアルにその
当時の感情になりきって、当時見えなかった感情の奥の本心に気づいてあげよう。
もちろん、すべての記憶を追えるわけではないが、徹底的にやるとある段階で
「もうこれでやりきった」という時がくる。 

◆すると、瞑想における反応の出かたや手放し方の質がまったく変わったことに気づく。
そこではじめてすべての反応を置いておくことができ、集中が勝手に起こるようになる。
ただし、過去の自分を癒す感傷的な感覚に夢中になると、目的を忘れて延々と自分探し
をはじめるので注意する。  


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