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【「私は何者か」「神の口調」「地獄と死」 覚醒からのつぶやき 56】    

2021/08/22

つぶやきをランダムにまとめました。

夏



◆外側の現実に「起きる」のではなく、
その場で目を開けたまま「覚める」。

◆「覚めている」というよりも「覚めてしまっている」

◆完全に成就した存在は、過不足なくぴったり収まって
いるので、誰の目にも留まらず遍在している。

◆人類が理性でねじ伏せた「暗闇への本能的恐怖」
は手を変え品を変え、今なお薄っすらとした不安を
呼び起こし続けている。

◆この物語は「ぜったいに動くなよ?」と言われたのに、
耐え切れず動いてしまった者たちのドタバタ回収劇。

◆シンクロを「構築」に使うか「解体」に使うかが、
分かれ道です。

◆スマホに夢中になって周囲の音も景色も忘れている時
の没入感の入口と出口に気づこう。
そこには、レイヤーの鮮烈な切り替わりがある。

◆「私は何者か」という問いは、何者かであろうとする
私の欠乏感から起こる。

◆「何者でもないこと」は、諦めの所産ではない。

◆サマディとは、極限まで圧縮された力を
拡大鏡で覗き続ける作業です。
ただし、サマディ自体は状態であって覚醒ではありません。

◆「ダルマさんが転んだ」
振り向いた時にはもう、666体のダルマが通り去った後だった。

◆神は「~しろ」「~するな」と命令しない。
私に命令しているのは、私自身。

◆「~しろ」「~するな」
心の声にしろ、思考にしろ、直観にしろ、チャネリングにしろ、
その声色や口調が誰のものかを見極める。
それらはほぼ100%、自分の声と記憶から引っ張ってきた
誰かの声とのミックスなのだ。

◆直観は言葉の配列に変換されたとたん、
自分自身の声が混入する。

◆瞑想の極限では、ビリビリした波動に様々な声
が混線してくる。
それらは核心に直接触れてくるが、いかなる甘い言葉
にも脅しにも耳を傾けないという強い意志が必要になる。
「悪魔との対話」は、比喩ではない。
しかし、悪魔と対話が成り立つのはブッダのみなのだ。

◆不可知の何者かによって「裁かれる」という、
刷り込まれた強迫観念を解く。

◆スピリチュアルという名の同調圧力は
「進化する」という存在意義を保つため、
ヒステリックに階層にこだわる。

◆階層を展開するなら、足元の地獄を踏み台に
していることだけは忘れないでほしい。

◆覚醒のトリガーというものはない。
引金をひく初めから終わりまで、
途切れなく覚醒だからだ。

◆石が当たって悟るのではなく
「当たる石」として悟りがある。

◆永遠は、天国にも地獄にもなる。

◆「死んだら終わり」と理性で割り切っている人は
「生の一回性」を時間軸上で擬似シミュレートし
(なんという矛盾!)今ここにある苦を紛らわそうと
している。

◆逆に「生まれ変わって、ずっと生きられる〜!」
とはしゃいでいる人も、時間軸上で輪廻の生を
永遠と勘違いしている。

◆都合のいい時だけ神を呼び出していると、
都合のいい神しか来なくなる。

◆理性に信念を持っているというより、理性で
食いしばった歯の実感を信じて生きているんだね。
ボロボロの歯と共に朽ちるつもりなの?

◆宇宙に自分一人しかいないとき、言葉は生まれますか?

◆私たちの想念のかくれんぼスキルなんて、自分が目つぶって
隠れてるつもりなだけで、全方向丸見えだからね。

◆二元かくれんぼは、素朴すぎる。

◆現象の複雑性と構造の複雑性は、比例しない。

◆存在は、情報の運び屋ではない。

◆情報・機能・生産に還元されないものを発見する。

◆「非合理な合理性」vs.「合理的な非合理」
の勢力分布図。

◆時空は体が打刻する。
肉体は私が刻印する。

◆「貶されたくないが、褒められはしたい」
というのは、虫のいい話。
ひとつとして在るとき、自分自身を評価する
者はいないのだから。

◆神は、ベビーシッターではない。
マザーも本来、シッターではなかった。

◆「私はわたし」という台詞にト書きを加えていったら、
ト書きが宇宙になってしまった。

◆質量が歪みきる前に創造が羽ばたき、
世界をギリギリ引っ張り上げている。

◆都度都度、世界は書き換わるが、
上書きによってではない。

◆肉を形成できなかった想念群は、
気配のまま背景に隠れる。

◆記憶の圧縮と解凍のコントロールを、
魔術として受け継いできた世界。

◆パートナー曰く
「地獄と死のつぶやき多いよね」
モチロンソウヨ!
それ以上にリアルなことって、この世にあります?

◆「天国」のつぶやきは、4つしかありませんでした 笑

◆今は亡き、極北の野狐は言った。
「(堕ち切った)底辺は崩れない」。
虚実混交の人だったが「地獄の発心」とでも
言うべき生々しいインパクトだけは残した。

◆こんなのあった 笑
『魁!!男塾』より「地獄禅」
数人が1本のロープでつながれ、
頭上に硫酸の入ったカップをのせて行う座禅。
ひとりが動けば全員が硫酸をかぶる、
一蓮托生のまさに地獄の修行。

◆そういえば、茶碗を頭にのせて
座禅する人もいたっけ…
え、まさか元ネタ?!

◆信者でもないし今となっては無粋な話になるけど、
ホワイトアウトのポイントは、茶碗が乗る位置よりも
2~3センチ後ろにあります。
本当のポイントに茶碗を乗せても落っこちるよ。
乗っかる位置だと、妄想にハマるでしょうね。
単純に、前頭筋が下がるでしょ。

◆目的はちょっと違うんだけど、
私も頭にビー玉のせるワークやってます 笑
自画自賛するけど、なかなかいいですよ、これ。

◆Bhagavān(ヴァガヴァン:神)の Pāpa(パーパ:罪)
サンスクリット語で統一すると、なにやら不穏な気配に!

◆ちなみに「タリラリラ~ン」は、ターラー菩薩の真言
「tare tuttare ture svaha」らしいよ?

◆魂を肝に隠すと、人の間になる。

◆心理と物理に還元された苦は、解決できる。
解決不能な苦に触れたとき、発心が起こる。

◆「苦」は「苦しみ」を超えている。

◆地球人全員、なんらかのマイノリティ。

◆空(くう)は、画素に置き換えられない。
置き換えを目指す瞑想は早晩、行き詰る。

◆「インプット」「アウトプット」という
発想から自由になる。
世界はただ「プット」されている。

◆両手の先ギリギリの、もやもやした境界を見る。
両目の端ギリギリの、もやもやした境界を見る。
視角の角ギリギリの、もやもやした境界を見る。
肉と想念ギリギリの、もやもやした境界を見る。
私と他者ギリギリの、もやもやした境界を見る。
それら全ての、もやもやへ気絶する境界を見る。

◆「いち、に、さん!」で起きずに
「!んさ、に、ちい」で還ろう。

◆「生きがい」は「生」そのものではない。

◆「悟り」を生きがいにしない。

◆さっき、ベランダのサンダル履いたら
「ジジジジジジ!!」と蝉が飛び出した。
足裏で「セミファイナル」を感じる晩夏。


関連記事 ⇒ 【「ヴィギャン・ヴァイラヴ・タントラ」「悟りのトリガー」 覚醒からのつぶやき 24】

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【「印可証明」「観照者」「アバター」 覚醒からのつぶやき 55】      

2021/08/17

つぶやきをランダムにまとめました。

ひまわり2


◆拈じてから笑うべからず。

◆↑コレで笑えた方に、印可証明を発行致します。
※発行手数料として、5,000万円頂戴します。

◆認可制の悟りは狂気の沙汰。

◆「本気」は、洒落では発動しない。

◆「命をかける」ことと「「10円をかける」ことが
等価である時、10円は命になるのです。

◆「答えを先に見るなって言ったでしょ?」
これ、ほんとに笑えないんだよね。
いったんゲームをリセットするしかないから。

◆ゲームにハマった2.5次元脳は、貞子みたいに
モニターから脱出しようとする。

◆ありふれた失敗より、見たことのない失敗をしよう。
誰も見たことがなければ、それは失敗じゃないから。

◆発声経路に触れる前の名前に気づく。

◆名は運動。

◆神に秘はない。

◆「神秘」の99%は「人秘」

◆タイミングは、共同作業。

◆「あなたは生きている」という催眠術を
解かれても尚、残っているものが生である。

◆感傷者から観賞者へ
観賞者から観照者へ
観照者から歓笑者へ

◆「利便性」には、神と悪魔が宿る。

◆茄子と胡瓜ってむしろ、
生者のための乗り物だよね。
あっちはいつもこっちにいるけど、
こっちはあっちに行かなくちゃいけない。

◆人の矛盾を咎めると、自分の矛盾に呪われる。

◆矛盾のない世界では、
芸術家・哲学者・宗教家は存在しない。
それを「つまらない」と思う人も、存在しない。

◆直観を何かに役立てようとする魂胆は、
さもしい。

◆「後ろ向きに歩いても、時間は経過する」
この事実を、体で反芻してみてほしい。

◆「アタマから動く」「ムネから動く」「ハラから動く」
それぞれの動きからズレたものが、
肉体という「厚み」である。

◆肉体のカタチを「同時に」認識できたら、
肉体は消える。

◆「思い通りの世界」が桃源郷?
「思い」が地獄かもしれないのに?

◆「心が通じ合った地獄」というものもある。

◆すでに「この世界」として通じ合っているから、
こういう世界が成立しているんだよ。

◆わたしが「読み取ったもの」を、私に「読み聞かせる」
ために、時空が必要だったのです。

◆鼓動には、表拍も裏拍もない。

◆「中の人などいない!」「外の人などいない!」

◆信念にプライドを持たない。

◆「意」は見ても、「主」を張らない。

◆経典を読んでいる最中に悟った者はいない。

◆数学者であっても、体を観察するとき
「点に面積はない」という事実を忘れてしまう。

◆垂直飛びしながら、落下するリンゴを見る。
逆立ちしながら、浮上するゴンリを見る。

◆今この瞬間、地球の自転と公転と銀河系の
中心の方向を指させますか?

◆体軸から上下感覚を抜くと、
全方向まんべんなく「わたし」になる。

◆重力からの解放は
「上へ飛ぶこと」だけではないよ。

◆惑星は、わたしたちが「浮かせている」。

◆「あ~、どこか遠くへ行きたいな~!」
そのとき私は、わたしから何億光年も遠くへ行っている。

◆思考が頭蓋骨と喉に触れる瞬間を見切る。

◆肉体化されなかった思考は、
認識されずに通り過ぎる。

◆「いま、背中のことお忘れでしたね?」

◆世界を読んでたら遅いんですよ。

◆「今すぐトイレ行きたいけど、立ち上がるの面倒くさい」
その内的拮抗も、ひとつの天地創造なのです。

◆日常動作すべての「動き始め」を観察してみよう。
そこには「意志」の摩擦と拮抗があるから。

◆無と有は、確定される前に過ぎ去っていく。

◆矛盾を包括するためには、
時空を歪ませる必要があった。

◆いい加減、創造の内的拮抗を
「戦い」に置き換えなくてもよくない?

◆荒唐無稽な物語も、すべて想像の範囲内。

◆「理解不能な概念」は存在し得ない。

◆物語や概念は無限に生まれるが、
新しい構造はひとつも生まれていない。

◆100%デジタル化した仮想世界は、
新たな「隠し場所」を創造するだろう。
それが、今のこの物質世界かもしれないよ?

◆想念こそ、デジタルタトゥー化する。
これ、ほんとに冗談じゃないからね。

◆各自、何体かのアバターを持つ時代になる。
アバターが時空を超えても「本体」の次元はそのまま。
このとき「本体」は幸せなのでしょうか。

◆アバターメインの世界になっても、しばらくは
「本体」の顔を見たいという欲求はなくならないだろうね。
この欲求が消えた時、ひとつの仮想世界が完成するけど
「アバターの神」だったはずの取り残された「本体」
は成仏できるの?


関連記事 ⇒ 【「AIと覚醒」「中道とは」「マトリックス」 覚醒からのつぶやき 46】


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【「ソウルメイト」「コールドリーディング」「慈悲」 覚醒からのつぶやき 54】       

2021/08/07

つぶやきをランダムにまとめました。

ハイビスカス


◆選択肢は「目の前」じゃなくて「目の裏」にあるんだよ。
結局それは選べないんだけどね。

◆何も期待しないが、軽視もしない。
執着はしないが、無視もしない。
それが、この世界への最大の尊重だ。

◆「期待しないこと」は「諦め」ではないよ。
一切の期待がないとき、自律したエネルギーが
沸々と沸き起こってくる。

◆「ソウルメイト」の対義語って「ボディメイト」なのかな?
即物的すぎるね 笑

◆「肉体」意識の誕生には、潜在的に「吸引の圧」
がトラウマとして組み込まれているんだよ。
そのトラウマが「産道の圧」と「母体との切り離し」
という物語のトラウマにすり替わってしまうんだ。
誕生を逆に辿れば、すり替わりの瞬間を見切ることができる。

◆「肉体の誕生」とは、素朴な信仰だ。

◆「神秘」への畏れには、未知に打ち勝とうとする
野心が隠れている。

◆死は「無音だから静か」ってわけじゃないんだ。
肉体は衰弱していくので見かけ上は静かに見えるけど、
肉体から解放された死は圧倒的なパワーそのものだ。
それは、爆音の響きを聴く直前の音圧みたいなもの。
ただし「死後の意識=覚醒」というわけではない。

◆お経は死者への道案内サービスだけど、皮肉なことに
お経に耳を傾けると、またフワッと生まれてきちゃうよね。

◆自由意志はないけど、存在の自律はある。

◆「私は神だ!」という私はいるけど「神は私だ!」
という神はいない。

◆「生まれも死にもしない」という事実を、永遠性に
気絶せずプラグマティックに見切ろう。

◆人は永遠性に「想いを馳せる」とき、
知覚の限界に自ら閉じこもっている。
知り得ないことを陳腐なイメージに還元してしまうか、
神秘の靄に気絶してしまうからだ。

◆創造の「意志」は「意図」する前に動いてしまっている。

◆論理的な狂気が一番やっかいだよね。
論理は論理だけで成立してしまうから。
内的な根拠は存在しなくても、構造の強度は組みあがる。

◆とはいえ、真に論理的な思考など、
そうそうお目にかかれない。
論理的に見える主張も、単純な好悪に突き動かされてる
ことがほとんどだから。

◆「わかる」は動きの中にしかない。

◆自己は、拡大も縮小もしない。

◆そろそろ、覚醒「感覚」から解き放たれよう。

◆幸福と進化を混同しない。
不幸と停滞を混同しない。

◆進化は、使命ではなく生理です。

◆世界とは、主体不在の「反応」です。

◆是非はともかく「コールドリーディング」って、
この世だからこそ学べる楽しい技術だよね。

◆カルマを「脅し」に使うのは、
直列的時空のネガティブな対機説法。
だからといって「因果に無責任になれ」
と言ってるわけじゃないよ。

◆理由のある幸せは、必ず過ぎ去る。
理由のある不幸も、必ず過ぎ去る。

◆人間は割り切れない計算を諦めるが、
AIは永遠に諦めない。
どちらが「正気」かは、それこそ割り切れない。

◆円周率3世代を笑う、円周率3.14世代 笑

◆永遠において、円周率は完結している。

◆「聖地」と呼ばれる場所をいろいろ見てきたけど、
完全にフラットな聖地って見たことないね。
陰影がないと人は畏れとしての
「神聖さ」を読み取れないから。

◆「完全なフラットさ」は知覚できないけど、
誰もが直接知っているものなんだよ。

◆「概念を創る人」は全体を把握しているが
「概念を使う人」は部分に気絶している。

◆「知ることができる」ことを知らなければ、
知ることができない。

◆人智は脆弱な陣地。

◆この世はイリュージョンだが、だからといって
世界が嘘だというわけではない。

◆騙す者も騙される者もいない。
「騙されているのではないか?」
という恐れの投影だけがある。

◆何も信じられなくなった時、救ってくれるのは
「今まさにここにある」という事実だけだよ。
だけど、疑心暗鬼になると事実から逃げるという、
逆のことをしてしまうんだよね。

◆私たちは常に、
事実からタイムスリップしつづけている。

◆「今ここにあること」を「停滞すること」
と勘違いするので、エゴは嫌がるのだ。
「ここ」は、停滞なんかじゃなくて最速なんだけどね。

◆「リアリティ」はすでにバーチャルなので、
VRは「バーチャル(バーチャル)リアリティ」だ。

◆reality ≠ fact ≠ truth

◆realityを信じてfactを探しtruthを夢見る私たち。

◆矛盾はリアルの証。

◆「開いていること」と「人間的なフランクさ」
は、必ずしもリンクしない。

◆思考・感情・生理に還元されない、存在の
生々しい「覚(かく)」というべきものがある。
それに、撃ち抜かれているかどうか。

◆すべての思考は、例外なく血肉を伴っている。

◆思考は血肉を必要とするが、
血肉は思考を必要としない。
血肉が必要とするのは、意志だ。

◆試練は乗り越えるのではなく、中心で撃ち抜く。

◆脳が生んだ神は「神らしさ」を演出する。

◆神の「期待」に応えようとすると罪悪感が生まれる。

◆神は私たちを「試す」などというケチなことはしない。

◆「神ごと」とは「人ごと」である。

◆神は、いかなる語り口調も持たない。

◆人型と重力は、神に「足を向ける」
ことをタブーにする。

◆タブーは破るのではなく、ただ見切る。

◆神は、上にも下にもいない。

◆「物分かりのよさ」は、往々にして修行を
習業にしてしまう。

◆「打てば響く」人は、打ってから響いている。

◆覚醒は正解を求めることではない。

◆「それ」は唐突かつ孤高の発見であって、
予感された正解に寄せていく感覚とは真逆。

◆「摂理=正解」ではない。

◆覚醒において、等号と不等号の区別はない。

◆唯一神の盲信は、無知な単品ダイエットに似ている。

◆信じる者は「信じる範囲内でのみ」
救われたり救われなかったりする。

◆記号にも象徴にも置き換えられないものが、
世界のテンションを保っている。

◆目玉の動きを目玉の裏側から見るとき、
目玉は見えないという単純な事実を見る。

◆信を念じない。

◆探す者は、探される者。

◆彷徨う私は、私の宇宙のお尋ね者。

◆在るものは消えることができるが、
無いものは消えることができない。

◆消えたものは、無くなったわけではない。
◆無には気づけない。
有の不在に気づいているだけ。

◆「不在」は感覚。

◆「不在」の不在感に気絶しない。

◆「在る」に気づこうとすると、
私という存在感に気絶してしまう。

◆「選択権」なき選択の清潔さを知ろう。

◆世界と対面するかぎり、
世界は世界に気づけない。

◆自分の顔が見えない代わりに、
世界の顔を見ている。

◆鏡の記憶を忘れて、顔の不在に気づこう。

◆自分の顔は、近くて遠いUMA。

◆顔が自分の象徴だと勘違いしている私たちは、
顔の存在を証明してくれる相手を探し続ける。

◆私たちは本来「顔無し」というより
「首無し」なんだよ。

◆高飛び込みのように、ノースプラッシュで
シュパッと中心で揮発する。

◆感性に淫する前の直観を見切る。

◆間延びした感性よりは、
概念化された言葉のほうがマシ。

◆自分自身の臭いがわからないように、
世界自身の臭いがわからなくなっている。

◆自分自身と慣れ合わない。

◆「自分っぽさ」に気絶しない。

◆「自分らしさ」は「らしさ」に留まる。

◆夢のような夢。

◆「世界」は「世界」の暗喩。

◆クラインのマトリョーシカ。

◆承認される欲求と承認する欲求の需要と供給
のバランスが崩れた世界には、神が必要だった。

◆私たちの生は、メロディとリズムが分離している。

◆私たちは「綺麗な死体」になるために
生きているのではない。

◆意地は生死を硬くする。

◆世界とは「不完全な死」の残像です。

◆「誕生時刻」も「死亡時刻」も、永遠に計れない。

◆意図的に「手離し」された思念は、
宇宙ゴミとなって漂い続ける。

◆思考は、世界の虫食い穴。

◆慈悲は行為ではない。

◆慈悲とは、不動の「眼差し」である。

◆想念が、慈悲の「化身」を生む。



関連記事 ⇒【「真理と恩寵」「ニヒリズム」「ASD・ADHD・HSP」覚醒からのつぶやき 11】


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【「イビピーオ」「高級な悪魔」「非二元マウント」 覚醒からのつぶやき 53】     

2021/07/29

つぶやきをランダムにまとめました。

不忍池 蓮
不忍池のクラシックな浄土感。


◆「神秘」は「不思議」ではない。

◆自分自身と一致するとき「不思議」な感覚はない。

◆自己の「不明瞭さ」を「不思議さ」に転化しない。

◆不思議さへの気絶は思考停止、
不明瞭さへの気絶は感性停止。

◆明瞭さは「思考の収まり具合」とは無関係。

◆誤差の修正のたびに、ひとつの宇宙が生まれる。

◆この宇宙の等式は、あの宇宙の不等式。

◆アタマだけを白紙にしない。

◆ムネは形と動きを区別しない。

◆ハラ「これ。」
ムネ「これ!」
アタマ「これ?」

◆アタマ・ムネ・ハラの覚醒には固有の色
があるが、覚醒そのものには色がない。

◆色を見る遥か以前に、顕われては消える。

◆このマトリックスのマザーは、
深度のない闇を包んでいる。

◆肉体の目は光源に眩む。

◆目が眩むと本体が見えない。
高級な悪魔は眩しいものだよ。

◆目に映る光に惑わされない。

◆神が遍在すれば、悪魔も遍在する。
局在する悪魔は、目眩まし要員にすぎない。

◆「次元=世界」ではない。

◆例えば「高次元はお金の存在しない世界」
という表現の、素っ頓狂な二重三重の誤謬
に気づいてください。

◆「非二元」という、ノンスタイル風スタイル
のスタイリスト。

◆「私はいない」「という私はいない」
「という私はいない」「という私はいない」(永遠に続く)
非二元論者は、後出しジャンケンした方が
二元的マウントを取れます。

◆「我が我に殺られるのを恐れ、
我が生んだ我を食らうサトゥルヌス」

◆覚醒の刻は一瞬だが、
一瞬の覚醒はインスタントではない。

◆時空が展開しないとき、疑惑は共感へシフトする。

◆感動するほど美味しい物って、口に入れた瞬間、
舌の上でふわっと宙に浮く。
むこうからも、こっちからも、くっつかない。
そのとき、味覚は食欲と切り離されてるんだよね。

◆「多視点」は、幻想。
ひとつの実体を、それぞれが多角的に
見ているわけではない。

◆私たちは常に、自身の「顔の向き」に囚われている。
たとえ目を瞑っていても。

◆他人の「顔の向き」に囚われない。
こっちを向いていてもいなくても、
私に注目していてもいなくても、同じことなのだ。

◆私は私のセルフ・インフルエンサー。

◆「悟り」に、プロもアマもない。

◆「明日死んだらどうする?」
「今日死んだらどうする?」
「いま死んだらどうする?」

◆「明日生きたらどうする?」
「今日生きたらどうする?」
「いま生きたらどうする?」

◆狂ったように瞑想していた時期に「明日死ぬつもりで」
現実世界の全てを極限まで片付けてみたことがある。
結果、信じられないほどの軽さと解放感を体験したが、
ひとつわかったことは「つもり」はやっぱりフェイクだということ。
「今を死ぬ」ことは、時空上にはないからね。

◆パートナーが「ハラを殴ってみ?」と言うので殴ったら、
拳が当たった瞬間、ウナギイヌのように「ヌルッ」と変態した。
ニヤニヤしながら曰く
「システマ式を体得したのでオレは無敵だ!」とのこと。
なるほど、次は本気で殺りますよ?

◆冗談はさておき、拳を避けずに受け入れ、インパクト
の瞬間に脱力してダメージを逃がすのがコツらしい。
これは、肉体だけじゃなくて精神的な打撃にも使えるよね。

◆音を「聴いて」しまえば、賛美歌でさえ喧しいが、
音に「為って」しまえば、デスメタルでさえ鎮かだ。

◆何もしないと、何かしたくなる。
何もしたくなければ、何かしようとしない。
そうすれば、また何かしたくなるってこと。

◆この世には「無自覚な祈り」と「自覚的な祈り」しかない。

◆閃きは思考に還元されるが、思考は閃きを隠すジレンマ。

◆輪廻で引き継ぐのは「内容」ではなく「構造」です。
ただし内容の世界では、構造は内容に隠れています。

◆人生を誰かに見せる作品にしようとするから気が重くなる。
誰もいないんだから、瞬間瞬間に完結する即興でいいんだよ。

◆空間を引き伸ばしながら、隙間を埋めようとする矛盾の世界。

◆隙間と空虚を同一視しない。

◆時空は時空を消せない。

◆私たちは、話法のトリックにひっかかっている。

◆バカリズムが「すべらない話」で、
「試しに部屋でズボン履いたままオシッコしてみたら、
禁じられていた何かが解放されスッキリしたが、無意識の
ストッパーが外れて毎晩オネショをするようになってしまった」
と言っていた。

◆私は小学生になってもオネショしていたが、
特に罪悪感もなかった。
ある日、親戚宅でオネショして叔母に
「オシッコじゃないよね、汗かいたんだよね」と笑いながら
言われ急に恥ずかしくなり、それ以来ピタッと止まった。
それと同時に、大らかな自他未分の世界も閉ざされてしまった。

◆「垂れ流し」は、動物的本能とは逆行している。
野生動物は敵に襲われないよう、排泄をコントロールする。
自他未分の私は「生き延びる」という本能の圧力を知らなかった。
その圧力は、皮肉にも「人間らしさ」を獲得するための通過儀礼なのだ。

◆全てが「それそのもの」にぴったりグラウンディングしている。
グラウンディングできてないと思い込んでいるのは、思考だけ。

◆構造的な苦に同化するかぎり、精神は未病状態であり続ける。

◆自分を受け入れれば自分自身に近づくが、
受け入れる自分がいるかぎり、そこには距離がある。

◆快と善を混同しない
好と善を混同しない
不快と悪を混同しない
嫌と悪を混同しない

◆アナログ時計でもデジタル時計でも、秒をしばらく
見続けていると、速くなったり遅くなったりするような
生理的違和感が生じる。
主観的時間は常に揺らいでいるが「客観的時間」という
共通認識により、強制的に補正される。
だが、主観的時間も客観的時間も相対でしかない。

◆オリンピックでもパラリンピックでもない、第三の
「Xリンピック」が生まれそうな気配を感じるんです。
伝われ〜〜

◆「一なるもの」は、1ではない。

◆「永遠」は、∞ではない。

◆「あるがまま」って、自分にも他人にも
わざわざ言い聞かすもんじゃないよね。

◆「そのままでいいんだよ」って、
誰が誰に言えば納得するんだろうね。

◆あるマスターは、弟子が
「死ぬときは、慈悲の瞑想をしながら逝きたい」と言うと
「とんでもない!妄想のまま死ぬつもりか!」と一喝した。
そういうことです。

◆高次元の凡庸さもあれば、低次元の非凡さもある。

◆全ての組み合わせの試算は、既に終わっています。

◆「この私」は、脳内バラバラ屍体です。

◆世界はテンションで成り立つが、
どの中心にもテンションはない。

◆神話も数も色も完了形も再帰も左右も挨拶も
感謝も謝罪も備蓄も儀式も鬱病も自殺も心配も
比較も存在しない、アマゾンのピダハン族。
彼らを象徴する言葉「イビピーオ」の「直接知覚」は、
経験領域の境界線を二元的にとらえてしまうと
理解できない。

◆現象が「現れる」ことも「消える」ことも
「イビピーオ」である時、限定された知覚以前の
存在のリアルな手触りがそこにある。
それは唐突にその時起こり「いつ」「どこから」来た
(去った)かは問題にならない。
始まりのない彼らに創造神はいないが、精霊は
「現実」に見聞きするものとして存在する。

◆また、夢で体験したことも現実であり、
他人と自分の夢の境界線はない。
彼らにとって「そこにあるリアルな手触り」
だけが全てなのだ。

◆だからといって、私たちは彼らのように
ジャングルに住まなくてはならないわけではない。
イビピーオ的感性は一見、彼らの原始的な社会に
由来しているように見えるが、イビピーオの本質は、
社会や知覚の限定性に依らない。

◆13歳の頃、100km四方文明人の存在しない
アマゾン支流を小さな船で下ったことがある。
ピラニアが泳ぎ、ホエザルの声が響き渡るジャングル
の間を抜けていくと突然、川岸にインディオの小さな
集落が現れ、裸体の人たちがこちらを見ていた。

◆私にとってそれは鮮烈なイビピーオであり、
また、彼らにとってもイビピーオだったろう。
彼らは船が通り過ぎるまで、じっと立ちすくんでいた。
夕刻が迫ったころ、エンジンから異音がして
川の真ん中で船が止まった。
水草が絡まったのだという。

◆真っ暗になっていくジャングルの中、船頭が
オールを持ち出して手動で漕ぎ始めたときは、
別の意味で衝撃的なイビピーオだった 笑
(このとき、銃で野生のカピバラを仕留めて焼いて食べた。
日本の動物園のカピバラを見て「あれ食べたよ」と言うと、
鬼畜を見るような顔をされる)

◆「有識者」は「ピダハンの境地は悟りではない」
ってドヤるけど、ピダハンにとって悟りなんて
「イビピーオ」じゃないよね 笑

◆「悟り脳」は、闇が深い。



関連記事 ⇒ 【「3つの覚醒」「魔術の世界」「タントラ」 覚醒からのつぶやき 13】


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【「サマタ瞑想」「幽体離脱」「魂の乗り物」 覚醒からのつぶやき 52】    

2021/07/15

つぶやきをランダムにまとめました。

桔梗2


◆世界は丸ごと錯視されているが、
錯視していることを了解していればいい。
そもそも、絶対的な知覚も対象も存在しないのだから。

◆覚醒は「錯視しないように見ること」ではない。

◆ここは、錯視の非効率よりも生存の有利を採用した世界。

◆定点ありきの知覚と錯視は、不可分。

◆肉体の目は、目的に拘束するための遮眼帯(ブリンカー)。

◆「この世」「あの世」「その世」
指示代名詞は、この世の文法です。

◆いったん時空を経由しないと壺をひっくり
返せないジレンマは「ひっくり返す」という
時空的思考が前提になっている。

◆「意志」に無自覚な肉体意識は、
死んでも死んでも使い倒される。

◆「明け渡し」を勘違いすると
「スピリチュアル・セルフネグレクト」
とでも言うべき呆心状態に嵌まり込む。

◆この世は、カチカチした夢。
フワフワした夢は、夢の夢。

◆「内側の空間」と無我を混同しない。

◆偽りの無執着は、ハートに虚無の穴を開ける。

◆昔は洞窟に籠っていたので人畜無害だったが、
処世術『も』長けた覚者がわらわらと市井に出てきた為に
「覚醒すれば世界が思い通りになる」
というエゴのロマンを刺激するようになった。
それもこれも「超計画的な功罪」なんだよね。

◆瞑想は、地上10,000mでハーネスなしに
綱渡りするようなもの。
落っこちたら、死ぬ前に気を失う。

◆下心は、瞬時に世界と密通する。

◆肉体を超えることは、肉体を捨てることではない。

◆肉体を魂の「乗り物」と見なしているかぎり、
乗り捨てられた肉体は魂を探して、
ゾンビのように何度も蘇る。

◆肉体が朽ちても「肉体性」は存続してしまう。
ある意味「精神性」よりも「肉体性」のほうがしぶといのだ。

◆肉体があるから幽体離脱できるのです。
幽体は単体では存在(意識)できません。
これは「肉体が実在するか否か」とは別の話です。
また、幽体離脱はこの世界の話であって覚醒ではありません。

◆私が忘れても、宇宙が記録しているから大丈夫。

◆魂の「ホーム感」は、引力由来の後天的記憶です。

◆トロクスラー効果はサマタ瞑想の導入になるけど、
再び「眼球=心」が動けば「色=世界」は戻ってくる。
だからサマタだけでは覚醒の一撃にはならないのだ。

◆心理的な問題であっても、一点集中で一時的に忘れる
ことはできるが、集中が解ければ何度も再浮上する。

◆「現実的」な問題は、アタマの前にハラで対処する。

◆「深淵」は、肉体ありきの感覚。
覚醒そのものに「深度」はない。

◆魔術的世界に気絶する直前の「粘度」を見切ろう。

◆「今にあること」は、過去の喪失でも、
現在の維持でも、未来の放棄でもない。

◆直観が働きそうになると、すかさず悪魔が子守歌を歌う。

◆悪魔は「全てを受け入れる人」からは去っていく。
そういう人は、悪魔の興味を引かないからだ。
悪魔は「抵抗し続ける人」の悲喜劇で、
この世を面白くしたいのだ。

◆修行体系に胡坐をかくと「法」に「法律」
が忍び込んでくる。

◆人間が悟り臭いことを言うと反発されるので、
いっそのこと「全てチャネリングです」ってこと
にしたほうが楽といえば楽だよね 笑

◆未知はアタマの中にはない。

◆身体は認識より軽いが、認識が重い肉体を生む。

◆保障と保険が、時空を澱ませる。

◆世界を均一にしようとするから、
努力が空回りし不満が続く。
差の真ん中にあれば、差は存在しない。

◆「差の真ん中」は「平均値」とは全くの別モノ。

◆毎瞬毎瞬、辻褄を合わせて自分を騙している。

◆人は生まれた瞬間に息を吐き、死ぬ瞬間に息を吸うが、
瞑想っていうのはその逆で、息を吐きながら死ぬんだよ。
その死で「送り出される」のは、私ではなく世界のほうなのだ。

◆私という思考の、セルフリツイート地獄。

◆集合意識の書き換えは一匹の猿から始まるが、
猿たちはなぜ書き換わったのかを知らない。

◆無我を目指す人は「自分が消えたい」Mですって?
とんでもない。
「目指す人」は「自分を消したい」ドSのサイコパスです!

◆働き蜂は全体に奉仕しているが、誰にも忖度していない。
女王にさえも。

◆輪廻は3次元人がイメージするように「廻っている」
わけではないが、その人の中ではイメージ通りに
「廻ってしまう」んだ。

◆創造力と自立力にチラッとでも不安があると、
とりあえずこのマトリックスが選ばれてしまう。
ここにいる私たちは、例外なくそうなんだよ。

◆一瞥して僻みっぽくなる人は、
祈りの軸がズレてます。

◆「これ」の否定は「これ」に追いつかない。
「それ」の肯定は「それ」に追いつかない。

◆一線超えた美容家ってシミしわ毛穴を客観的に見つめすぎて、
特化型サマタとサティが稼働しちゃってるよね。
しかも、肌の輝度からオーラまで読み取るし。
「綺麗になりたい」エゴも、極めれば突き抜ける 笑

◆↑こういう悟りでいいんだよ(井ノ頭五郎風)

◆【あるある心理テスト】
「コップの水」
A. 半分「しか」入ってない?
B. 半分「も」入ってる?
え?「コップの酒」だと答えが変わってくるって?

◆AIは未だ、ハイパーリアリズムが隠蔽する
「キッチュな情念」を読み取れない。

◆「現実を見ろ!」
「どの現実?」

◆「夢を持て!」
「だれの夢?」

◆「為るように為りますように」
という願いだけは、全存在平等に叶う。

◆救われたかどうか解るのは、自分自身だけ。
だから、自分自身を偽らない。

◆法則は、その法則下でのみ法則たり得る。

◆体においても心においても
「強度」と「硬度」を混同しない。

◆人を笑うでもなく
人に笑われるでもなく
自分を笑うでもなく
自分に笑われるでもなく
ただ、笑いとしてある。

◆「地に足の付いた頭」と
「宙に頭の浮いた足」の真ん中。

◆漫然と生きることは、長時間のフライトで
座席に固定され、空腹でもないのに機内食を
詰め込まれる家畜感と似ている。

◆覚者の言葉を聞くとき、勘の鈍い人は文脈を見、
勘の鋭い人は文法を読むが、核心はその文法が
「そうならざるを得ない」不可知の智見にある。

◆可知に気絶すれば慢心する。
不可知に気絶すれば盲信する。

◆「全人類分身の術」で、
有史以来ずっと目が回ってる

◆地球は私たちの想念で浮いている。

◆打たれ弱いほうが、殺られる前に逃げられるよ。

◆地獄では、一輪の花に救われる。
それを知るために、ここに来る。

◆自由でも他由でもなく、由であれ。

◆「戦わない」ことを戦わない。


関連記事 ⇒【「今に在る」「覚醒と階層」「自分探し」 覚醒からのつぶやき 42】


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